特許拒絶査定不服審判
2021-014682
時計ムーブメントのための部品
- 審判番号
- 2021-014682
- 法域
- 特許
- 審判種別
- 拒絶査定不服審判(拒絶査定不服の審決)
- 出願番号
- 特願2019-200748
- 請求日
- 2021年10月29日
- 審決日
- 2022年06月24日
- 公報発行日
- 2022年12月28日
- 結論
- 請求不成立
- 当事者
- 【請求人】オメガ・エス アー
- 【請求人代理人】山川 茂樹
- 【請求人代理人】小池 勇三
- 審判長/審判官
- 審判長 岡田 吉美
- 審判官 居島 一仁
- 審判官 佐藤 久則
- 分類
- P18 .121-Z (G04B)
- 条文(本文から自動抽出・参考)
- 特許法第29条、特許法第44条
- データ出所
- 審決公報(XML)
事件の表示
特願2019-200748「時計ムーブメントのための部品」拒絶査定不服審判事件〔令和 2年 3月 5日出願公開、特開2020- 34570〕について、次のとおり審決する。
結論
結 論
本件審判の請求は、成り立たない。
理由
理 由
第1 手続の経緯
1 出願分割の経緯
本願は、令和元年11月5日(パリ条約による優先権主張2013年1月17日、欧州特許庁)にされた特許法44条1項の規定による特許出願であって、平成26年1月17日に出願された特願2014-6503号を最先の出願とする、いわゆる第3世代の分割出願であるところ、出願の分割の経緯は、次のとおりである。なお、括弧内は当該出願の現実の出願日(出願書類を提出した日)を示す。
最先の出願 :特願2014- 6503号(平成26年 1月17日)
第1世代分割:特願2015-240807号(平成27年12月10日)
第2世代分割:特願2018- 70668号(平成30年 4月 2日)
本願 :特願2019-200748号(令和 元年11月 5日)
2 本願の手続の経緯の概略
本願の出願後の手続の経緯の概略は、次のとおりである。
令和 2年10月 7日付け:拒絶理由通知書
令和 3年 1月19日 :意見書、手続補正書の提出
同年 6月 9日付け:拒絶査定(以下「原査定」という。)
( 同月29日 :原査定の謄本の送達)
同年10月29日 :審判請求書の提出
第2 本願発明について
本願の請求項1~3に係る発明は、令和3年1月19日に提出された手続補正書により補正された請求項1~3に記載された事項により特定されるとおりのものであるところ、請求項1の記載は次のとおりである(以下、請求項1に係る発明を「本願発明」という。)。
「 時計ムーブメントのための金属製枢動ピンであって、
前記枢動ピンは、端部の少なくとも一方に少なくとも1つのホゾを含み、
前記金属は、前記枢動ピンの磁場に対する感受性を制限するために、オーステナイト系鋼、オーステナイト系コバルト合金又はオーステナイト系ニッケル合金であること、及び
前記少なくとも1つのホゾ(3)の少なくとも外側表面(5)は、前記枢動ピンの中心部に対して所定の深さまで、炭素及び/または窒素の格子間原子を介することによって窒化クロム及び/又は炭化クロムの形成が低減されて硬化される硬化層を含むことを特徴とする、枢動ピン。」
第3 原査定の拒絶の理由
原査定の拒絶の理由のうち、本願発明に係る拒絶の理由の概要は、次のとおりである。
本願発明は、その優先権主張の日前に日本国内において頒布された引用文献1及び2に記載された発明に基いて、その優先権主張の日前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。
記
引用文献1:特開2003-214526号公報
引用文献2:特開2005-200674号公報
第4 当審の判断
1 引用文献及び引用発明等の認定
(1) 引用文献1
ア 引用文献1の記載事項
原査定の拒絶の理由において引用した引用文献1(特開2003-214526号公報)には、以下の記載がある(下線は当審において付与した。以下同様である。)。
(ア) 【0001】~【0006】
「【0001】
【発明の属する技術分野】本発明は、金属部品、歯車装置、動力伝達装置およびこれらを備えた機器に関する。
(中略)
【0006】本発明の目的は、固体潤滑剤の付着強度を向上でき、かつ母材表面の硬度低下を防止できて摩耗の発生を抑えることができる金属部品、歯車装置、動力伝達装置およびこれらを備えた機器を提供することにある。」
(イ) 【0011】~【0022】
「【0011】本発明の金属部品では、前記表面硬化処理は、窒化処理または浸炭窒化処理であることが好ましい。ここで、窒化処理とは、鋼材等をアンモニアガスなど窒素を含む媒剤中で500℃程度に加熱し、鋼表面部の窒化鉄の硬化層を生成させて母材表面の硬度を向上させる方法である。窒化処理には、アンモニアガスを用いるガス法、シアン酸ソーダ等を用いる塩浴法、窒素をプラズマ状態にして鋼材に浸透させるプラズマ法などがある。
【0012】浸炭窒化処理とは、900℃付近で、鉄鋼の表面層に炭素と窒素を同時に拡散させる方法である。この方法では、一般的には、低温域では窒素の拡散が進み,高温域では炭素の拡散が進む。また、浸炭窒化処理には、浸炭性ガスにアンモニアを添加して行うガス浸炭窒化法などがある。
【0013】これによれば、前記表面硬化処理は、窒化処理または浸炭窒化処理であることにより、窒化処理では、母材表面部の窒化鉄の硬化層を生成させるので、表面の硬度を向上させることができる。また、浸炭窒化処理では、母材表面部の窒化鉄および炭素からなる硬化層を生成させるので、表面の硬度を向上させることができる。また、窒化処理または浸炭窒化処理を行う温度以下、例えば、窒化処理は約500℃、浸炭窒化処理は約850℃で処理されるため、これらの温度以下の融点の固体潤滑材、例えば融点が約320℃程度の四フッ化エチレン系樹脂からなる潤滑層を得ることができる。
【0014】本発明の金属部品では、前記表面硬化処理は、浸炭処理であってもよい。ここで、浸炭処理とは、加工性のよい鋼の表面部の炭素含有量を増加させるため,炭素を含む媒剤中で加熱する処理方法である。この方法には、コークス、木炭などによる固体浸炭、シアン化物による液体浸炭、一酸化炭素、メタンなどによるガス浸炭、さらに真空イオン浸炭がある。
【0015】これによれば、前記表面硬化処理は、浸炭処理であることにより、浸炭処理後の材料は、表面は焼き入れにより、耐摩耗性が大きくなり、材料内部は硬化不能で柔軟な組織のままであるので靱性が高くなるという効果が得られる。また、浸炭処理は、約1000℃の高温で行うので、四フッ化エチレン系樹脂等よりも融点の高い二硫化モリブデン等の固体潤滑材を用いることができるので、材料選択の幅が広がる。
【0016】本発明の金属部品では、前記母材の材質は、ステンレス鋼であることが好ましい。これによれば、前記母材の材質は、ステンレス鋼であることにより、ステンレス鋼は、鉛を含有しないので、環境に優しい金属部品にすることができる。また、ステンレスは、防錆性を有しており、メッキ加工をする必要がないから、メッキ液を使わないので、この点でも環境に優しい金属部品にすることができる。
【0017】本発明の金属部品では、前記ステンレス鋼は、マルテンサイト系ステンレス鋼であることが好ましい。ここで、マルテンサイト系ステンレス鋼は、JIS規格では主にSUSの400番台に規定されており、針状の細かな組織から構成され、通常は強磁性体である。
【0018】母材としてマルテンサイト系ステンレス鋼を用いれば、切削性に優れているので、母材を加工するバイトの寿命を延ばすことができる。また、焼き入れ等の熱処理を行うことで、母材の硬度を調節することができるので、母材自身、すなわち母材の表面だけでなく、母材の内部も硬くすることができ、母材の変形に対して強度を向上させることができる。
【0019】本発明の金属部品では、前記ステンレス鋼は、オーステナイト系ステンレス鋼であってもよい。ここで、オーステナイト系ステンレス鋼は、JIS規格では主にSUSの300番台に規定されている。
【0020】母材としてオーステナイト系ステンレス鋼を用いれば、切削後の面粗度がよく、表面を滑らかに形成できるので、より一層均一な潤滑層を形成することができ、摩擦損失もより一層減少することができる。また、ステンレス鋼の中でも特に耐食性に優れているので、錆等を防止することができる。さらに、オーステナイト系ステンレス鋼は、一般に非磁性体であるので、この母材を、例えば、ロータなどの発電機付近の歯車に使用した場合に、磁束を引きつけず、発電機から発生する磁束の漏れが少なくなるから、発電機のステータに鎖交する磁束数が減少しないので、発電機の発電能力の劣化を招くことがない。また、時計外部からの磁力の影響を受けない、すなわち、耐磁性能も向上できる。
【0021】本発明の金属部品では、前記母材の表面硬化処理後に、少なくとも前記接触面を平滑にする研磨処理を行い、前記研磨処理を施された接触面の表面に、前記潤滑層が形成されていることが好ましい。ここで、研磨処理を施す場所として、他の部品に対して接触する接触面が挙げられるが、具体的には、歯車の歯面、歯車の回転軸に設けられるホゾ部等が挙げられる。また、研磨処理としては、加工物を研磨剤と一緒に容器に入れ,回転または振動により、ばり、はみ出しおよびスケールなどを除去したり、洗浄するバレル研磨等が挙げられる。歯車(かな、ともいう)やホゾ部を磨く際には、所定の研磨機を用いて行う。
【0022】これによれば、前記母材の表面硬化処理後に、少なくとも前記接触面を平滑にする研磨処理を行うことにより、表面粗さの改善がなされているから、潤滑層の分布をより一層均一にすることができるとともに、仮に母材同士が接触した場合でも摩擦抵抗を減少させることができる。」
(ウ) 【0046】~【0069】
「【0046】本実施形態では、このような電子制御式機械時計において、各番車107~111を本発明に係る歯車装置として適用している。従って、この電子制御式機械時計によって、増速輪列(動力伝達装置)を備えた機器が構成されている。
【0047】[歯車装置の構造]図5は、増速輪列117を構成する一歯車装置を示す拡大断面図である。各歯車装置107~111は、大歯車10と、この大歯車10の回転中心に取り付けられる回転軸30とを備え、この回転軸30には、大歯車10に比べて歯数の少ないかなである小歯車20が、大歯車10に対向するように一体成形される。
【0048】各歯車装置107~111のそれぞれの構成および製造方法は、略同様であるので、ここでは、三番車108を例に挙げて、歯車装置の構成および製造方法について説明する。なお、三番車108以外のその他の歯車装置(二番車107、四番車109、五番車110、六番車111)については、その説明を省略する。
【0049】大歯車10は、その厚さ(図中の上下方向の寸法)が0.14mmであって、そのモジュールが0.0776mm、歯数75枚のステンレス鋼の歯車である。大歯車10の外周側(図中の左右端縁)には、隣接する他の歯車装置(四番車109)の小歯車20とかみ合って、自身の回転を伝達するための複数個の歯11が形成される。また、大歯車10の回転中心には、回転軸30が貫通して取り付けられる開口部12が形成されている。
【0050】回転軸30は、ステンレス鋼によって形成され、棒状の本体31と、本体31の一端側に形成され、かつ本体31より径寸法の大きい支持体32と、この支持体32の一端側に形成され、かつ本体31よりも径寸法の小さい第1突出部33と、本体31の他端側に一体成形された小歯車20の他端側に形成され、かつ本体31よりも径寸法の小さい第2突出部36とを備える。
【0051】小歯車20は、そのモジュールが0.0815mmに形成されたステンレス鋼製の歯車である。小歯車20の外周側(図中の左右端縁)には、隣接するその他の歯車装置(二番車107)の大歯車10とかみ合って、その大歯車10の回転が伝達される複数個の歯21が形成される。
【0052】支持体32は、小歯車20と略同じ径寸法を有し、大歯車10の開口部12に挿入される挿入部34と、大歯車10の表面10A(図中下側の面)に接触する接触部35とを備える。第1突出部33は、他端側に向かって突出するように形成され、その先端部分であるほぞ33Aは、0.1mmの径寸法を有するとともに、図示しない軸受けで支持されている。また、第2突出部36は、一端側に向かって突出するように形成され、その先端部分であるほぞ36Aは、0.1mmの径寸法を有するとともに、図示しない軸受けで支持されている。なお、本実施形態では、各歯車装置107~111だけでなく、ロータかな112bも本発明にかかる金属部品で構成されている。
【0053】[歯車装置の回転軸の製造方法]このような三番車108の回転軸30の製造手順について、図6を参照しながら、以下に説明する。まず、図6(A)に示す母材がステンレス鋼である棒状部材40を旋盤等によって切削される。図6(B)に示すように、支持体32、挿入部34、第1突出部33および第2突出部36の他に、小歯車20、ほぞ33Aおよびほぞ36Aとなる部分を削りだす。なお、この切削工程では、小歯車20となる部分の外周には、まだ歯を形成しない(切削工程)。
【0054】この後、歯割り加工によって、図6(C)に示すように、小歯車20となる部分の外周に歯21を削りだして小歯車20を形成する。なお、歯割り加工は、歯21と歯21との間の溝の輪郭を有した刃物で、1つ1つの歯を削りだしていく総型歯切り法による加工であってもよく、また、歯車型カッタ、ラック型カッタ、またはホブカッタ等の工具を用いて、歯21を削りだしていく創成歯切り法による加工であってもよい。ここで、歯割り加工の際、その切削条件等によっては、小歯車20の歯21の端部、および歯21と歯21の間の溝の端部にかえりが生じる場合がある(歯割り工程)。
【0055】歯割り工程が完了した後、回転軸30を1つ1つに切り落とし、これらの回転軸30に表面硬化処理を施す。ここで、本実施形態では、表面硬化処理として、窒化処理を採用している。なお、回転軸30を1つ1つに切り落とした際に、ほぞ33Aおよびほぞ36Aが形成される(図6(D)参照)。窒化処理において、図6(D)に示すように、回転軸30をアンモニア中で加熱することにより、アンモニアから発生する窒素が回転軸30中に溶解し、母材であるステンレス鋼に含まれたCr等によって、回転軸30の表面に表面硬化層が形成される。
【0056】このような窒化処理では、雰囲気ガスや、温度、処理時間等の種々の処理条件を任意に設定することによって、回転軸30の表面に形成される表面硬化層(窒化層)の厚みや表面硬度を任意に選択することができる。
【0057】なお、窒化処理としては、ガス窒化、液体窒化、軟窒化等の方法を採用してもよい。ここで、表面硬化処理では、歯割り加工で生じたかえりも硬化されることとなり、かえりは、もともと小さく薄肉なので、脆くなって、回転軸30から折れ易くなっている(表面硬化処理工程)。
【0058】その後、図6(E)に示すように、固体潤滑材としての四フッ化エチレン系樹脂である、PTFE(ポリテトラフルオロエチレン)粉をパーフロロカーボン液等の分散媒に分散させ、回転軸30をこの分散液中に浸漬けして表面を塗布する。その後、大気中で加熱してPTFEをその融点以上で融解して、回転軸30の表面に付着させる。そして、付着させた固体潤滑材を空気中で、冷却し、回転軸30の表面に潤滑層が形成され、回転軸30が完成する(潤滑層形成工程)。この潤滑層50は、図7に示すように、回転軸30の表面上に形成され、他の部材40の表面と回転軸30の表面が直接接触しないようになる(潤滑層形成工程)。
【0059】なお、本第1実施形態における材料、処理条件等の具体的条件を以下の通りである。
ステンレス鋼:SUS301(オーステナイト系ステンレス鋼)、
ステンレス鋼の表面硬化処理前の全体の硬度:約200Hv、
窒化処理の条件:500℃、2時間、
【0060】固体潤滑材:四フッ化エチレン系樹脂、中心粒径0.3μmのPTFE(ポリテトラフルオロエチレン)、株式会社 喜多村 製 KD-400AS、
分散媒:パーフロロカーボン液、
分散液の比重:2.1~2.2g/cm3、
固体潤滑材のコーティング条件:空気雰囲気中で360℃(PTFEの融点は320度であるためその融点以上の温度)、2時間、
以上のような条件で、表面効果処理した結果、ステンレス鋼の硬度は以下に述べる通りである。ステンレス鋼の表面硬化処理(窒化処理)後の表面の硬度:約1000Hv
【0061】[摩擦摩耗試験]上記の手順で、板状のプレートを製造し、窒化処理が施されたプレートの表面に潤滑層が形成されたプレートの耐摩耗性を、摩擦摩耗試験の結果に基づいて、具体的に説明する。なお、この摩擦摩耗試験では、直径3/16inch(0.47625cm)のボールを1Nの荷重で上記プレート上に押しつけ、この状態でプレートを直線往復運動させ、このときのボールおよびプレート間に働く摩擦力を測定した。
【0062】この摩擦力とボールの往復回数との関係をグラフとして示したものが図8である。この際、摩擦力は、当初一定FAであるが、あるボールの往復回数NAになると、急激に摩擦力が大きくなる。これは、プレート表面に形成された潤滑層が剥がれ始めていることを示している。このときのボールの往復回数NAを表1に示した。さらに、ボールを往復させると、潤滑層が摩耗していき、完全に潤滑層が剥がれて、プレートの表面とボールが直に接触すると摩擦力の増大が止まる。このときの摩擦力がFBであり、このときのボールの往復回数がNBである。以上の試験を行った結果を表1に示した(実施例1)。
【0063】なお、PTFEを融解させずに直接、上記ステンレス鋼の表面に付着させたプレートにより、上記摩擦摩耗試験を行った例を比較例1とした。また、PTFEをバインダ(接着剤等)を用いて上記ステンレス鋼の表面に付着させたプレートにより、上記摩擦摩耗試験を行った例を比較例2とした。評価結果を表1に示す。
【0064】
【表1】
[図:0001391615000001.jpg]
【0065】実施例1と比較して、比較例1、2は、急激に摩擦力が大きくなるボールの往復回数が小さいことがわかる。すなわち、PTFEを融解させて潤滑層を形成させた実施例1のほうが、潤滑層の摩耗量が少ないことがわかる。つまり、PTFEを融解させて潤滑層を形成させたほうが、部品の高寿命化による長期信頼性向上が可能となる。また、実施例1と比較例2とを比較することにより、本実施形態の製造方法による金属部品は、従来の方法より約50%((1800÷1200-1)×100=50%)の耐久性が期待される。
【0066】上述のような本実施形態によれば、次のような効果がある。
(1)潤滑層50は、固体潤滑材をこの固体潤滑材であるPTFE(ポリテトラフルオロエチレン)の融点320℃以上で融解して形成されていることにより、固体潤滑剤を付着させた初期の状態における固体潤滑剤の潤滑層50を均一な分布とすることができる。このため、固体潤滑剤の付着強度を向上できて潤滑層50を剥がれ難くでき、潤滑層50による効果を長期間維持することができる。
(2)母材であるステンレス鋼の地肌が直接露出する部分が無いため、ステンレス鋼同士が接触することもない。このため、摩耗発生を抑えることができるとともに、例えば、回転軸30に用いた場合には、摩擦損失を少なくでき、エネルギーロスの少ない効率的な駆動を行うことができる。
(3)母材であるステンレス鋼は、固体潤滑材(PTFE)の融点よりも高い温度で表面硬化処理(窒化処理)されているので、固体潤滑剤を融解させるために、その融点まで加熱しても、表面硬化処理した際の温度まで加熱されてステンレス鋼表面の硬度が低下されることはない。このため、固体潤滑剤を融解させてもステンレス鋼表面の硬度は高い状態で維持することができる。従って、長期間の使用により、潤滑層50が減少してステンレス鋼同士が接触しても、その表面硬度が高い状態で維持されているので、摩耗なども発生せず、非常に長寿命である。
【0067】(4)摺動部品である回転軸30のほぞ33Aおよびほぞ36A表面にも、窒化処理後、PTFEの潤滑層が形成されるので、摺動する部分の耐摩擦性を向上させることができる。
(5)小歯車20の歯21の表面にも、窒化処理後、PTFEの潤滑層が形成されるので、接触する部分である歯21の耐摩擦性を向上させることができる。
【0068】(6)小歯車20等の材質は、ステンレス鋼であることにより、ステンレス鋼は、鉛を含有しないので、環境に優しい。また、ステンレス鋼は、防錆性を有しており、メッキ加工をする必要がないから、メッキ液を使わないので、環境に優しい。ステンレス鋼は、鉛を含有しないので、環境に優しい。また、ステンレスは、防錆性を有しており、メッキ加工をする必要がないから、メッキ液を使わないので、この点でも環境に優しい。
【0069】(7)オーステナイト系ステンレス鋼は、切削後の表面が滑らかであるので、より一層均一な潤滑層50を形成することができる。また、耐食性に優れているので、錆等を防止することができる。さらに、一般に非磁性体であるので、ロータ112付近のロータかな112aに使用しているので、磁束を引きつけず、発電機から発生する磁束の漏れが少なくなるから、発電機120のステータ116cに鎖交する磁束数が減少しないので、発電機120の発電能力の劣化を招くことがない。また、外部からの磁力の影響を受けない、すなわち、耐磁性能も向上する。」
(エ) 【0097】
「【0097】なお、本発明は前記各実施形態に限定されるものではなく、本発明の目的を達成できる範囲での変形、改良は、本発明に含まれるものである。例えば、表面硬化処理としては、前記各実施形態では、窒化処理を採用していたが、これに限られず、浸炭窒化処理や浸炭処理を採用してもよい。浸炭窒化処理では、母材表面部の窒化鉄および炭素からなる硬化層を生成させるので、表面の硬度を向上させることができる。また、浸炭処理では、炭素含有量が0.25重量%以下までの低炭素鋼に対して行われる処理で、浸炭処理後の材料は、表面は焼き入れにより、耐摩耗性が大きくなり、材料内部は硬化不能で柔軟な組織のままであるので靱性が高くなるという効果が得られる。なお、窒化処理をする際に適用できる材料としては、3.0%以上のクロムを含む材質のものであればよく、ステンレススチール、クロムモリブデン鋼であればよい。」
(オ) 【図5】
「【図5】
[図:0001391615000002.jpg]
」
(カ) 【図6】
「【図6】
[図:0001391615000003.jpg]
」
イ 引用発明の認定
上記アにおいて摘記した事項を総合すると、引用文献1には、次の発明(以下「引用発明」という。)が記載されていると認められる。
[引用発明]
「 増速輪列(動力伝達装置)を備えた電子制御式機械時計における回転軸30であって、(【0046】、【0047】)
増速輪列117を構成する各歯車装置107~111は、大歯車10と、この大歯車10の回転中心に取り付けられる回転軸30とを備えたものであり、(【0047】)
回転軸30は、ステンレス鋼によって形成され、棒状の本体31と、本体31の一端側に形成され、かつ本体31より径寸法の大きい支持体32と、この支持体32の一端側に形成され、かつ本体31よりも径寸法の小さい第1突出部33と、本体31の他端側に一体成形された小歯車20の他端側に形成され、かつ本体31よりも径寸法の小さい第2突出部36とを備え、(【0050】)
第1突出部33は、他端側に向かって突出するように形成され、その先端部分であるほぞ33Aは、0.1mmの径寸法を有し、(【0052】)
第2突出部36は、一端側に向かって突出するように形成され、その先端部分であるほぞ36Aは、0.1mmの径寸法を有し、(【0052】)
ステンレス鋼は、SUS301(オーステナイト系ステンレス鋼)であり、(【0059】)
オーステナイト系ステンレス鋼は、非磁性体であるので、磁束を引きつけず、(【0069】)
回転軸30は表面硬化処理を施されており、表面硬化処理として、窒化処理を採用し、回転軸30を1つ1つに切り落とした際に、ほぞ33Aおよびほぞ36Aが形成され、窒化処理において、回転軸30をアンモニア中で加熱することにより、アンモニアから発生する窒素が回転軸30中に溶解し、母材であるステンレス鋼に含まれたCr等によって、回転軸30の表面に表面硬化層が形成されたものであり、(【0055】)
窒化処理では、雰囲気ガスや、温度、処理時間等の種々の処理条件を任意に設定することによって、回転軸30の表面に形成される表面硬化層(窒化層)の厚みや表面硬度を任意に選択することができるものである、(【0056】)
回転軸30。」
(2) 引用文献2
ア 引用文献2の記載事項
原査定の拒絶の理由において引用した引用文献2(特開2005-200674号公報)には、以下の記載がある。
(ア) 【0028】~【0032】
「【0028】
本発明のステンレス鋼ばねの製法は、主としてつぎの工程を実施することにより行う。
【0029】
すなわち、オーステナイト系ステンレス鋼からなるばね素材を、フッ素系ガス雰囲気下で加熱保持してフッ化処理を行い、上記フッ化処理と同時期および/またはその後に、上記ばね素材に対して浸炭処理を行って、当該ばね素材の表層部に、クロム炭化物が実質的に析出していない炭素固溶層を形成する。
【0030】
まず、本発明が適用される母材であるオーステナイト系ステンレス鋼について説明する。
【0031】
上記オーステナイト系ステンレス鋼は、例えば鉄分を50重量%以上含有し、クロム分を12重量%以上含有するとともにニッケルを含有するオーステナイト系ステンレス鋼があげられる。具体的には、SUS304、SUS316、SUS303S等の18-8系ステンレス鋼材や、クロムを25重量%、ニッケルを20重量%含有するオーステナイト系ステンレス鋼であるSUS310Sや309、さらに、クロム含有量が23重量%、モリブデンを2重量%含むオーステナイト-フェライト2相系ステンレス鋼材等があげられる。また、ニッケルを19~22重量%、クロムを20~27重量%、炭素を0.25~0.45重量%含むSCH21やSCH22等の耐熱鋼鋳鋼も本発明のオーステナイト系ステンレス鋼として好適に用いられる。さらに、クロムを20~22重量%、ニッケルを3.25~4.5重量%、マンガンを8~10重量%、炭素を0.48~0.58重量%含むSUH35や、クロムを13.5~16重量%、ニッケルを24~27重量%、モリブデンを1~1.5重量%含むSUH660等の耐熱鋼も本発明のオーステナイト系ステンレス鋼として好適に用いることができる。また、SUS301等の17-7系ステンレス鋼、よりニッケル量を少なくしたSUS202等の18-5-8Mn-N系ステンレス鋼、SUS201等の17-4-6Mn-N系ステンレス鋼、SUS301J等の17-8系ステンレス鋼、析出硬化性を付与したSUS631等の17-7PH系ステンレス鋼、SUS632等のPH15-7Mo系ステンレス鋼、SUS630等の17-4PH系ステンレス鋼等のいわゆる準安定系のオーステナイト系ステンレス鋼も本発明のオーステナイト系ステンレス鋼として好適に用いることができる。
【0032】
このように、ニッケルおよびクロムを含む低炭素のオーステナイト系ステンレス鋼を使用することにより、耐食性に優れるだけでなく高温強度や高温耐疲労性にも優れ、しかもクロム化合物の析出がなく非磁性を保ったオーステナイト系ステンレス鋼の表層部に炭素固溶層を形成し、耐摩耗性や耐食性に優れ、非磁性のステンレス鋼ばねを得ることができるのである。また、非磁性のオーステナイト系ステンレス鋼であるばね素材の、表層部から芯部にわたるばね素材全体に、母材のオーステナイトに炭素が固溶するとともにクロム炭化物が実質的に析出していない炭素固溶相を形成し、耐摩耗性や耐食性に優れ、非磁性のステンレス鋼ばねを得ることができるのである。」
(イ) 【0052】~【0058】
「【0052】
つぎに、上記フッ化処理と同時期および/またはその後に、上記オーステナイト系ステンレス鋼に対して浸炭処理を行う。
【0053】
浸炭処理は上記オーステナイト系ステンレス鋼自体を680℃以下の浸炭処理温度に加熱し、CO+H2からなる浸炭用ガス、または、RXガス〔CO23容量%,CO21容量%,H231容量%,H2O1容量%,残部N2〕+CO2からなる浸炭用ガス等を用い、炉内を浸炭用ガス雰囲気にして行われる。この浸炭用ガス雰囲気に、必要に応じてプロパンガス等の炭素源ガスをエンリッチすることもできる。
【0054】
このように、本発明では、浸炭処理を従来公知の浸炭処理に比べて極めて低い温度領域で行うのである。この場合、上記CO+H2の比率は、CO2~50容量%、H230~90容量%が好ましく、RX+CO2は、RXが80~90容量%、CO2が3~7容量%の割合が好ましい。また、浸炭に用いるガスは、CO+CO2+H2も用いられる。この場合、それぞれの比率は、CO5~55容量%、CO21~3容量%、H250~95容量%の割合が好適である。
【0055】
上記浸炭処理の際の加熱温度すなわち浸炭処理温度としては、680℃以下すなわち400~680℃の温度が好適である。浸炭処理温度が680℃を超えると、オーステナイト系ステンレス鋼の母材自体の軟化が生じたり、浸炭された炭素原子が母材に固溶したクロムと結合してクロム炭化物を生じたりし、母材自体に含まれるクロム量を減少させて表層部の耐蝕性が大幅に低下するうえ、浸炭層に侵入固溶した状態で存在する炭素量が減少し、母材の強度や耐食性が低下するとともに、磁性を帯びることとなるからである。
【0056】
同様の理由により、上記浸炭処理温度としてより好適なのは400~600℃の温度範囲であり、さらに好適なのは400~550℃、もっと好適なのは450~500℃の温度範囲である。本発明においては、上記フッ化処理を行うことにより、このような極めて低温における浸炭処理が可能となり、浸炭処理中にクロム炭化物粒子をほとんど生成させずに母材中に炭素を侵入固溶させ、格子歪みを増大させて母材表層部を強化し、ばね素材にばね性を付与するのである。
【0057】
このように処理することにより、オーステナイト系ステンレス鋼の表層部に炭素が拡散浸透した炭素固溶層が深く均一に形成される。この炭素拡散層は、基相であるオーステナイト相中に、多量のC原子が侵入固溶して格子歪みを起こした状態となっており、母材に比べて著しく硬度の向上を実現している。しかも、上記炭素原子は、母材中のクロムとCr7C3やCr23C6等の炭化物をほとんど形成することなく結晶格子中に侵入固溶していることから、上記炭素固溶層中にはクロム炭化物粒子が実質的に存在せず、母材に固溶するクロム量を減少させることもないことから、母材と同程度の耐蝕性を維持できる。
【0058】
また、上記のようにして浸炭処理を行ったオーステナイト系ステンレス鋼は、表面粗度もほとんど悪化せず、膨れによる寸法変化や磁性も生じない。したがって、面粗度低下や寸法変化も少なく、比較的精度よく表面改質をすることができる。また、オーステナイト系ステンレス鋼の中でも、ニッケルを多量に含む安定型オーステナイト系ステンレス鋼や、モリブデンを含有する安定型オーステナイト系ステンレス鋼では、炭素拡散層の耐蝕性がより良好である。」
(ウ) 【0069】~【0073】
「【0069】
このようにして製造されたステンレス鋼ばねは、ばね素材が非磁性のオーステナイト系ステンレス鋼からなり、表面から内部に向かって炭素固溶濃度が少なくなる濃度勾配が形成されている。そして、少なくとも表層部に、母材のオーステナイトに炭素が固溶した炭素固溶層が形成されている。浸炭処理による表面からの炭素の侵入固溶により、母材の炭素固溶部分が強化され、優れたばね性と耐食性,耐摩耗性が付与されるのである。
【0070】
上記炭素固溶層の深さは、例えば、ばね素材が、比較的板厚の大きい板状もしくは線径の大きな線状である場合、ばね素材の表面から板厚もしくは線径の5%以上の深さに形成するのが好ましい。上記板厚もしくは線径に対する炭素固溶層の深さの比は、10%以上であればより好ましく、15%以上であれば一層好ましい。また、この場合の具体的な板厚は、例えば、板厚としては、1mm以下が好ましく、より好ましい上限値は0.5mm以下程度である。また、具体的な線径は、例えば1mm以下が好ましく、より好ましい上限値は0.5mm以下である。このように、比較的板厚の大きい板状もしくは線径の大きな線状のばね素材において、表層部の上記5%深さの炭素固溶層による表層部の強化によって比較的短時間の浸炭処理で十分なばね性が付与される。
【0071】
上記炭素固溶層の深さは、例えば、ばね素材が、比較的板厚の小さい板状もしくは線径の小さい線状である場合、ばね素材の表面から板厚もしくは線径の25%以上の深さに形成するのが好ましい。上記板厚もしくは線径に対する炭素固溶層の深さの比は、30%以上であればより好ましく、40%以上であれば一層好ましい。また、この場合の具体的な板厚は、例えば、板厚としては0.2mm以下が好ましく、より好ましくは0.1mm以下、さらに好ましくは0.05mm以下程度に設定される。また、具体的な線径は、例えば0.2mm以下が好ましく、より好ましくは0.1mm以下、さらに好ましくは0.05mm以下程度に設定される。このように、比較的板厚の小さい板状もしくは線径の大きな線状のばね素材において、表層部の上記25%深さの炭素固溶層による表層部の強化によって強力なばね性が付与される。
【0072】
これら場合において、上記炭素固溶層が表層部から芯部まで形成され、ばね素材全体が炭素固溶相からなるようにすることもできる。このようにばね素材全体を炭素固溶相とすることにより、ばね素材全体が炭素固溶相として強化され、強力なばね性を発揮する。
【0073】
そして、上記炭素固溶層または炭素固溶相にはクロム炭化物が実質的に析出していないことから、母材に固溶するクロム量を減少させることもなく、母材であるオーステナイト系ステンレス鋼と同程度の耐蝕性を維持できる。また、表面粗度もほとんど悪化せず、膨れによる寸法変化や磁性も生じないため、面粗度低下や寸法変化も少なく、比較的精度よく表面改質をすることができる。」
(エ) 【0094】及び【0095】
「【0094】
以上のように、本発明によって得られたステンレス鋼ばねは、優れた耐摩耗性、耐疲労性、表面硬度、耐食性、ばね性を発揮する。また、溶体化処理材を使用した場合には、非磁性の特性を有するものとなる。したがって、磁気記録装置やコネクタ、リレー、スイッチ等の非磁性が必要とされる分野のばね材として好適に用いることができる。また、本発明の製造方法およびそれによって得られた金属製品は、ばねとしてだけではなく、動力伝達用ワイヤー,制振材,流し台シンク,カメラやノート型パソコン等の外装ケース等の高強度材としても利用することができる。
【産業上の利用可能性】
【0095】
本発明のステンレス鋼ばねおよびその製法は、磁性を嫌う用途への応用を促進することが可能となる。そして、磁気記憶装置やマイクロスイッチ,リレー等の非磁性特性が要求される機器への応用が可能になり、従来のBe-Cu系合金によるばねよりも大幅にコストを低減することができる。」
(オ) 【図1】
「【図1】
[図:0001391615000004.jpg]
」
イ 引用文献2技術事項の認定
上記アに摘記された事項を総合すると、引用文献2には、次の技術事項(以下「引用文献2技術事項」という。)が記載されていると認められる。
[引用文献2技術事項]
「浸炭処理の際の加熱温度すなわち浸炭処理温度として、680℃以下すなわち400~680℃の温度が好適であり、浸炭処理温度が680℃を超えると、浸炭された炭素原子が母材に固溶したクロムと結合してクロム炭化物を生じたりし、母材自体に含まれるクロム量を減少させて表層部の耐蝕性が大幅に低下するうえ、浸炭層に侵入固溶した状態で存在する炭素量が減少し、母材の強度や耐食性が低下するとともに、磁性を帯びることとなるものであり、(【0055】)
このように処理することにより、オーステナイト系ステンレス鋼の表層部に炭素が拡散浸透した炭素固溶層が深く均一に形成され、この炭素拡散層は、基相であるオーステナイト相中に、多量のC原子が侵入固溶して格子歪みを起こした状態となっており、母材に比べて著しく硬度の向上を実現し、上記炭素原子は、母材中のクロムとCr7C3やCr23C6等の炭化物をほとんど形成することなく結晶格子中に侵入固溶していることから、上記炭素固溶層中にはクロム炭化物粒子が実質的に存在せず、母材に固溶するクロム量を減少させることもないことから、母材と同程度の耐蝕性を維持でき、(【0057】)
上記炭素固溶層の深さは、ばね素材が、線径の小さい線状である場合、ばね素材の表面から線径の25%以上の深さに形成するのが好ましいこと(【0071】)。」
(3) 引用文献3から引用文献6までの記載事項及び技術常識の認定
ア 引用文献3の記載事項
当審において、技術常識を示す文献として新たに引用する小原嗣朗著,「基礎から学ぶ 金属材料」,初版第1刷,株式会社朝倉書店,2012年2月25日,p.108-110「(以下「引用文献3」という。)には、以下の記載がある。
「a. 浸炭(carburizing)
鋼は鉄の中に炭素が0.02~2.14%含まれた合金であるが(8.4節参照),その性質は炭素の量が少なければ軟らかいが延性に富み,炭素の量が多いと硬くて強いがもろい性質が出てくる.それで機械の部品の材料としては,使用目的によって炭素を表面部に多く,中心部には少なく分布させれば,表面は硬くて耐摩耗性に富み,一方,中心部は軟らかくて粘いので,全体としてはもろさによる破壊を避けることができる.このような製品を作るために,低炭素の材料を用いて切削加工をした後,表面から炭素を拡散させて,表面に高炭素の硬い鋼の膜を作る操作を浸炭という.」(109頁10~17行)
イ 引用文献4の記載事項
当審において、技術常識を示す文献として新たに引用する田中和明著,「図解入門 よくわかる 最新「鉄」の基本と仕組み」,第1版第1刷,株式会社秀和システム,2009年11月1日,p.52-56,84-87「(以下「引用文献4」という。)には、以下の記載がある。
(ア) 52頁本文1~6行
「溶質元素の固溶形態
鉄の合金とは、鉄の結晶構造に溶質元素が固溶した状態です。固体の鉄は体心立方構造です。この結晶構造に溶質元素が存在する形態は、2つあります。1つは鉄原子の位置に溶質元素の原子が入れ替わる置換型固溶です。もう一つは、鉄の結晶構造の隙間に溶質元素が入り込む侵入型固溶です。この2つの固溶形態が組み合わさったのが実在結晶構造です。」(52頁本文1~6行)
(イ) 52頁下から6行~53頁2行
「溶質元素の種類
鉄と合金を作る元素は、その原子直径により固溶形態が異なります。鉄の原子直径と近い元素は置換型固溶になります。原子直径でおよそ±20%以内の元素です。この範囲を超えると、鉄とは溶け合いません。ナトリウムやカルシウムなどのアルカリ金属やアルカリ土類金属は原子半径が大きく鉄とほとんど溶け合いません。
一方、原子直径が非常に小さい元素は、侵入型固溶となります。こういう元素には、炭素や窒素、ホウ素などがあります。いずれも固溶形態の元素も、それぞれ鉄の合金の材料を決める重要な元素です。」(52頁下から6行~53頁2行)
(ウ) 84頁本文1~5行
「鉄の拡散、炭素の拡散
拡散とは、異なる元素が相互に入り混じっていく現象です。鉄と炭素の合金は鋼ですが、固体の鋼中で同じ成分組成比率でも拡散の仕方によって様々な組織を生み出します。また、炭素や窒素などの鉄の侵入型元素は、鉄表面からの拡散により浸炭や窒化が起こります(拙書「金属の基本と仕組み」6-9節参照)。」(84頁本文1~5行)
(エ) 52頁 図2-18
「
[図:0001391615000005.jpg]
」
(オ) 53頁 図2-19
「
[図:0001391615000006.jpg]
」
ウ 引用文献5の記載事項
当審において、技術常識を示す文献として新たに引用する特開平9-71855号公報(以下「引用文献5」という。)には、以下の記載がある。
(ア) 【0010】
「【0010】本発明者らは、オーステナイト系金属に対する表面硬度を向上させるため、一連の研究を重ねる過程で、浸炭処理に際し、フッ素系ガスで前処理すると、オーステナイト系ステンレス等のオーステナイト系金属に対し、鋼のA1 変態点以下の低温での浸炭処理が可能になるのではないかと着想し、これに基づき一連の研究を重ねた。この研究の過程で、前記の着想のように、浸炭処理に先立ち、または、浸炭処理と同時に、フッ素系ガスで処理すると、オーステナイト系金属表面の不働態酸化皮膜がフッ化膜に変換され、従来、不可能視されていた低温域での浸炭処理が可能になるのである。そして、その浸炭処理の温度も従来のような700℃以上の温度ではなく500℃以下の温度にすると、形成される浸炭硬化層中には粗大クロム炭化物粒子が存在しなくなることを見いだした。さらに、炭素の浸入固溶により、浸炭硬化層にはオーステナイト相の結晶格子に大きな歪みが生じ、浸炭層の硬度が非常に高くなることを突き止めた。そして、食器類をオーステナイト系金属により形成し、上記のような処理を施すことにより、その表面から10~50μmの深さの表面層が浸炭硬化層に形成され、しかも、オーステナイト系金属自体の有する耐蝕性が殆ど損なわれないことを見いだし、本発明に到達した。このようにして得られた浸炭硬化食器類は、表面層が硬質で耐蝕性に優れ、しかも、従来のように表面が膨れたり、表面粗度が悪くなる等の難点もない。」
(イ) 【0014】
「【0014】本発明は、オーステナイト系金属より形成された食器類に対して、フッ素系ガスを用いフッ化処理したのち、浸炭処理を施すことにより、その表面に浸炭硬化層を形成するものである。」
(ウ) 【0019】~【0021】
「【0019】つぎに、上記のようなフッ素処理を行った後、浸炭処理を行う。浸炭処理は上記食器類を400~500℃の温度、好適には400~480℃の温度に加熱し、炉内を浸炭用ガス雰囲気にして行われる。浸炭温度を上記のように低い温度範囲に設定することにより、浸炭層中にCr23C6等の結晶質のクロム炭化物が析出せず、母材中のクロム原子が消費されないため、浸炭硬化層の耐蝕性が維持される。また、低温度域での処理であるため、炭化物の粗大化も起こらず、しかも、母材芯部の軟化による強度低下も少ない。上記浸炭用ガスとしては、炭素源ガスとしてCOを用い、通常、このCOとH2,CO2,N2の混合ガスの形で使用される。この浸炭性ガスの浸炭能力(カーボンポテンシャル:PC値)は、通常、雰囲気中のCOおよびCO2の分圧値PCO,PCO2を用いて下記の式で表される。このPC値が大きいと、浸炭能力が大きくなり、表面炭素濃度が高くなって表面硬度が高くなるが、炉内のすすの発生が多くなる。それとは反対に、上記PC値が小さいと浸炭能力が小さくなり、表面炭素濃度が低くなって表面硬度は低くなる。また、上記PC値は、一定の限界点以上に設定したとしても、形成される浸炭硬化層の表面硬度には限界があることも判明している。
【0020】
【数1】PC=(PCO)2/PCO2
【0021】このように処理することにより、オーステナイト系金属から形成された食器類の表面に「炭素」の拡散浸透層(浸炭硬化層)が均一に形成される。この浸炭硬化層には、Cr23C6,Cr7C3,Cr3C2等のような結晶質のクロム炭化物は生成されず、T.E.M.(透過型電子顕微鏡)での観察によれば、粒径0.1μm以下の極めて微細な金属の炭化物が認められるのみである。また、この超微細炭化物は、T.E.M.のスペクトル分析によれば、母材と同一の化学組成を有しており、格別にCrとCが結合した結晶質の炭化物で構成されていない。さらに、上記浸炭硬化層は、炭素原子が母材格子中に侵入固溶してクロム炭化物を形成せず母材同様のオーステナイト相から形成されている。この多量の炭素原子の浸入固溶により浸炭硬化層は大きな格子歪を起こしている。上記微細炭化物と格子歪みとの複合効果により、浸炭硬化層の硬度の向上を実現し、マイクロビッカース硬度でHv700~1050という高硬度が得られる。しかも、結晶質のクロム炭化物が生成せず、母材中のクロム原子を消費しないことから、耐蝕性も未処理材と同程度を維持している。また、浸炭処理した後の食器類の表面には、最表層に極薄い酸化異常層が形成されるため、黒色を呈するが、機械的研磨加工あるいは酸洗等の仕上げ処理により、上記酸化異常層を取り除くことにより、未処理材と変わらないステンレス特有の金属光沢のある表面外観を得ることができる。そして、この浸炭硬化層は、JIS2371による塩水噴霧試験(SST)で、2000時間以上全く発錆しないという優れた耐蝕性を示す。」
エ 引用文献6の記載事項
当審において、技術常識を示す文献として新たに引用する特開2009-108411公報(以下「引用文献6」という。)には、以下の記載がある。
(ア) 【0002】~【0011】
「【0002】
ステンレス鋼は、その優れた耐蝕性に基づき、化学的装置構造において、食品技術において、石油化学産業において、海洋領域において、船舶構造及び飛行機構造において、建造物において、家屋構造及び装置構造において、そして多くの他の産業分野で使用される。
【0003】
鉄材料に少なくとも13質量%のクロムが合金化されている場合に、耐蝕性のステンレス鋼と呼ばれる。大抵の場合に、例えばStahlMerkblatt 821 Edelstahl Rostfrei-Eigenschaften Informationsstelle Edelstahl,PF102205,40013 Duesseldorf www.edelstahl-rostfrei.deとP.Guempel et al.Rostfreie Staehle,ExpertVerlag,Band 349,Renningen Malmsheim 1998において取り扱われているように、付加的になおもニッケル、チタン及びモリブデンが鉄合金中に含まれている。
【0004】
典型的なオーステナイト系のステンレス鋼は、鋼1.4301又は鋼1.4571であり、それらは以下の組成を有する:
鋼1.4301: C0.05質量% Si0.5質量% Mn1.4質量% Cr18.5質量% Ni9.5質量%
鋼1.4571: C0.03質量% Si0.5質量% Mn1.7質量% Cr17.0質量% Ni11.2質量% Mo2.2質量% Ti0.1質量%
クロム含有率が13質量%未満であれば、その鋼は、一般には、ステンレス鋼と見なすには不十分な耐蝕性を有する。従って、鋼中の金属クロムの含有率は、特に上述のP.Guempelによる出版物に挙げられているように、耐蝕性にとって重要な基準である。
【0005】
鋼1.4301、鋼1.4441、鋼1.4541もしくは鋼1.4575などの殆どの慣例のステンレス鋼の大きな欠点は、これらが概ね軟質であるため、粉塵、砂などの硬質粒子により表面に引っ掻き傷がつきやすいことにある。いわゆるマルテンサイト系のステンレス鋼を除外して、殆どのステンレス鋼は、焼き鈍し及び焼き入れなどの物理的方法によって硬化することができない。低い表面硬さは、そのステンレス鋼の使用をしばしば妨げる。殆どのステンレス鋼の更なる欠点は、その激しい焼き付き傾向、すなわち2つの対抗する平滑面の付着に基づく表面の融着傾向である。
【0006】
前記問題に対処するために、ステンレス鋼製の加工品の熱化学的処理を行うことが知られている。この場合に、ガス中(アンモニア雰囲気下)での、プラズマ中(窒素/アルゴン下)での、もしくは溶融塩中(溶融されたシアン酸塩)での窒化もしくは軟窒化によって、ステンレス鋼の表面は窒素富化され、その際、鉄窒化物とクロム窒化物が形成する。その際に生ずる層は、材料内部から形成されるので、電気的層もしくは物理的層の場合とは異なって、外部から施与されていないため、極めて付着性に優れている。処理時間に応じて、5~50μm厚の硬質層が形成される。ステンレス鋼上のかかる窒化もしくは軟窒化された層の硬さは、その際に生ずる鉄窒化物及びクロム窒化物の高い硬さのため、ビッカースによる硬さスケールで1000単位を超える値に達する。
【0007】
ステンレス鋼上のかかる窒化もしくは軟窒化された層の実際の使用上の問題は、これらの層は確かに硬質ではあるものの、耐蝕性を失うことにある。その理由は、窒化もしくは軟窒化の際に580℃付近の範囲にある比較的高い処理温度である。前記温度では、内部に拡散する元素である窒素及び炭素は、クロムとともに、安定なクロム窒化物(CrN)あるいはクロム炭化物(Cr7C3)を部材表面の領域内に形成する。このように、耐蝕性に不可欠な遊離のクロムは、ステンレス鋼マトリクスから、その表面下の約50μmの深さまで取り除かれ、そしてクロム窒化物もしくはクロム炭化物に変換される。その部材表面は、鉄窒化物及びクロム窒化物の形成に基づき確かに硬質であるが、腐蝕を受けやすい。使用に際して、かかる層は、腐蝕のため、素早く摩滅あるいは消磨される。
【0008】
この問題を解消するために、以下の方法様式が存在する。
【0009】
ステンレス鋼上の表面硬さを、電気的被覆、例えばニッケルメッキによって、又は物理的被覆、例えばPVD被覆(物理蒸着)によって向上できることは知られている。しかしながら、その際に、その鋼表面上には異種物質が適用される。摩滅性もしくは腐蝕性の媒体と接触する表面は、もはや鋼表面自体ではない。そのため、付着性と耐蝕性の問題が生ずる。従って、この方法は、ステンレス鋼の硬さと摩滅挙動の改善のためにはあまり普及していない。
【0010】
硬質で同時に耐蝕性の層は、ステンレス鋼に対するいわゆるKolsterise処理(Kolsterisieren)によって熱化学的に作製することができる。この方法は、例えばKolsterisieren-korrosionsfestesOberflaechenhaerten von austenitischem rostfreiem Stahl-Informationsblattder Bodycote Hardiff bv,Parimariboweg 45,NL-7333 Apeldoorn,info@hardiff.deに挙げられている。しかしながら、前記方法の条件は、特許文献にも、一般に入手できる学術文献にも記載されていない。こうして処理された部材は、10~35μm厚の硬質な耐摩耗性の層を有し、該層は母材の耐蝕性を維持したままにする。Kolsterise処理された部材は400℃を超える温度で加熱してはならない。そうでなければ、その耐蝕性は失われる。
【0011】
例えばH.-J.Spies et al.Mat.-Wiss.u.Werkstofftechnik30(1999)457-464及びY.Sun,T.Bell et al.The Response of Austenitic Stainless Steelto Low Temp.Plasma Nitridingに記載されるプラズマ窒化によるか、又は例えばD.Guenther,F.Hofftnann,M.Jung,P.Mayr:Oberflaechenhaertungvon austenitischen Staehlen unter Beibehaltung der Korrosionsbestaendigkeit Haerterei-Techn.Mitt.56(2001)74-83に記載されている低温での低圧浸炭によって、ステンレス鋼製の部材表面中に窒素及び/又は炭素の過飽和固溶体を作製でき、該表面は所望の特性を、すなわち耐蝕性を変化させずにより高い硬さを有する。」
(イ) 【0025】~【0031】
「【0025】
本発明による方法は、ステンレス鋼製の加工品の表面硬化のために用いられる。加工品は、溶融塩中に浸漬され、そして該塩に24時間~240時間にわたって晒される。溶融塩の温度は、400℃未満である。溶融塩は、以下の組成を有する:
酢酸カリウム 60~100質量%
酢酸ナトリウム 0~100質量%
金属塩 0~2質量%
本発明による方法では、加工品の処理温度、すなわち本発明により使用される溶融塩の温度は、420℃~440℃の範囲にあるクロム炭化物の形成温度より低いので、鋼マトリックス内の炭化物、すなわちステンレス鋼の格子構造の形成は回避される。
【0026】
クロム炭化物の形成が十分に回避されるので、すなわちは、ステンレス鋼製加工品の耐蝕性に不可欠な遊離のクロムは、該加工品の表面領域から排除されない。従って、該加工品は、硬質で、摩耗を抑制し、かつ滑りやすい表面を有すると同時に、高い耐蝕性を有する。
【0027】
前記の好ましい作用効果の達成に必須のことは、拡散可能な炭素を遊離できる成分と、その拡散可能な炭素の遊離を低温でもたらす好適な活性化剤とを含有する本発明による溶融塩の使用である。
【0028】
活性の炭素放出物質(酢酸塩もしくは中間物質として形成する炭化物)の濃度は、本発明による溶融塩中では、ガス雰囲気もしくはプラズマ中の相応の物質(アンモニア、メタン、炭素酸化物)の濃度と比較して非常に高い。溶融塩中での加工品の比較的長い処理時間は、炭素の拡散速度が温度の関数であり、450℃未満の温度で大きく低下することに基づいている。クロム炭化物形成の回避に必要な低い温度の場合に、24~240時間の長い拡散時間を使用せねばならない。しかしながら、その結果としての長い処理時間は重要ではない。それというのも、ステンレス鋼、特にオーステナイト系のステンレス鋼もしくはいわゆる二相ステンレス鋼(フェライト系-オーステナイト系の鋼)は、そのように長い熱処理時間に対して非常に耐久性である、すなわち前記ステンレス鋼は、それ以外の機械的特性もしくは組織を変更しないに等しいからである。
【0029】
ステンレス鋼は、例えばStahl Merkblatt 821 Edelstahl Rostfrei-EigenschaftenInformationsstelle Edelstahl,PF 102204,40013 Duesseldorf www.edelstahl-rostfrei.deとP.Guempelet al.Rostfreie Staehle,Expert Verlag,Band 349,Renningen Malmsheim 1998に記載されるように、大抵は、オーステナイト系の鋼の形で存在する、すなわち鉄マトリクスは、オーステナイト系の構造、つまり面心立方格子を有する。
【0030】
この格子内に、炭素などの非金属元素が固溶体で存在することができる。炭素をオーステナイト系のステンレス鋼の表面中に導入し、そこで飽和又はそれどころか過飽和の固溶体で保持することに成功したため、2つの効果が生じる:
(a)炭素はクロム炭化物の形成温度(420~440℃)未満で内部拡散された場合には、クロムの炭化物を形成しない。そのため、合金マトリクスは、拡散層の範囲でクロム除去されないので、ステンレス鋼の耐蝕性は保たれたままとなる。
【0031】
(b)内部拡散した元素は、オーステナイト系格子を拡大させ、そして拡散領域の範囲内に強い圧縮応力をもたらす。それは他方で、相当の硬さ増大をもたらす。学術文献において、拡張型オーステナイト又はいわゆるS相と言われ、それはビッカース硬度計で1000までの硬さをとりうる。そのことは、Y.Sun,T.Bellet al.The Response of Austenitic Stainless Steel to Low Temp.Plasma Nitridingに挙げられている。」
オ 技術常識の認定
(ア) 技術常識1
前記アに摘記した引用文献3の記載事項から、次の技術事項は当業者にとって技術常識であったと認められる(以下「技術常識1」という。)。
[技術常識1]
「機械の部品の材料としては,使用目的によって炭素を表面部に多く,中心部には少なく分布させれば,表面は硬くて耐摩耗性に富み,一方,中心部は軟らかくて粘いので,全体としてはもろさによる破壊を避けることができ、このような製品を作るために,低炭素の材料を用いて切削加工をした後,表面から炭素を拡散させて,表面に高炭素の硬い鋼の膜を作る操作を浸炭ということ。」
(イ) 技術常識2
前記イ(ア)及び(イ)に摘記した引用文献4の記載事項から、次の技術事項は当業者にとって技術常識であったと認められる(以下「技術常識2」という。)。
[技術常識2]
「鉄の結晶構造に溶質元素が固溶した状態の鉄の合金においては、形態の一つとして、鉄の結晶構造の隙間に溶質元素が入り込む侵入型固溶があり、炭素や窒素、ホウ素などが入り込むことで、侵入型固溶となること。」
(ウ) 技術常識3
前記イ(ウ)に摘記した引用文献4の記載事項から、次の技術事項は当業者にとって技術常識であったと認められる(以下「技術常識3」という。)。
[技術常識3]
「炭素や窒素などの鉄の侵入型元素は、鉄表面からの拡散により浸炭や窒化が起こること。」
(エ) 技術常識4
前記(2)に摘記した引用文献2の記載事項並びにそれぞれ前記ウ及びエに摘記した引用文献5及び引用文献6の記載事項に例示されるように、次の技術事項は、オーステナイト系ステンレス鋼の特定の用途における技術者に限られず、オーステナイト系ステンレス鋼に関連する技術を扱う者には、一般的に広く知られた、技術常識であったと認められる(以下「技術常識4」という。)。
[技術常識4]
「オーステナイト系ステンレス鋼を浸炭処理するに当たり、表面にクロム炭化物が析出しないように浸炭処理すべきこと。」
2 対比
(1) 本願発明と引用発明の対比
ア 引用発明の「増速輪列(動力伝達装置)」は、「電子制御式機械時計」に用いられるから、本願発明の「時計ムーブメント」に相当する。
よって、引用発明の「回転軸30」は、「増速輪列117を構成する各歯車装置107~111」に備えらものであり、ステンレス鋼によって形成されるから、本願発明の「時計ムーブメントのための金属製枢動ピン」に相当する。
したがって、本願発明と引用発明は、「時計ムーブメントのための金属製枢動ピン」の発明である点で一致する。
イ 引用発明の「ほぞ33A」は、「回転軸30」に備えられた「棒状の本体31」の「一端側に形成され」た「支持体32の一端側に形成され、かつ本体31よりも径寸法の小さい第1突出部33」の先端部分であり、引用発明の「ほぞ36A」は、「回転軸30」に備えられた「本体31」の「他端側に一体成形された小歯車20の他端側に形成され、かつ本体31よりも径寸法の小さい第2突出部36」の先端部分である。
よって、引用発明の「ほぞ33A」及び「ほぞ36A」は、本願発明の「ホゾ」に相当する。
したがって、本願発明と引用発明は、「前記枢動ピンは、端部の少なくとも一方に少なくとも1つのホゾを含[む]」点で一致する。
ウ 引用発明の「回転軸30」を形成する「ステンレス鋼」は、「SUS301(オーステナイト系ステンレス鋼)」であり、「非磁性体」であって「「磁束を引きつけ[ない]」ものであるから、本願発明と引用発明は、「前記金属は、前記枢動ピンの磁場に対する感受性を制限するために、オーステナイト系鋼、オーステナイト系コバルト合金又はオーステナイト系ニッケル合金である」点で一致する。
エ 引用発明の「回転軸30」は、「表面硬化処理を施されており、表面硬化処理として、窒化処理を採用し、回転軸30を1つ1つに切り落とした際に、ほぞ33Aおよびほぞ36Aが形成され、窒化処理において、回転軸30をアンモニア中で加熱することにより、アンモニアから発生する窒素が回転軸30中に溶解し、母材であるステンレス鋼に含まれたCr等によって、回転軸30の表面に表面硬化層が形成され」ているから、「ほぞ33A」及び「ほぞ36A」の外側表面に「表面硬化層」が形成されている。
したがって、本願発明と引用発明は、「前記少なくとも1つのホゾの少なくとも外側表面は、硬化層を含む」点で共通する。
(2) 一致点及び相違点
上記(1)ア~エの対比結果をまとめると、本願発明と引用発明は、以下の一致点において一致し、以下の相違点において相違する。
[一致点]
「 時計ムーブメントのための金属製枢動ピンであって、
前記枢動ピンは、端部の少なくとも一方に少なくとも1つのホゾを含み、
前記金属は、前記枢動ピンの磁場に対する感受性を制限するために、オーステナイト系鋼、オーステナイト系コバルト合金又はオーステナイト系ニッケル合金であり、
前記少なくとも1つのホゾの少なくとも外側表面は、硬化層を含む、枢動ピン。」
[相違点]
本願発明においては、「硬化層」が「前記枢動ピンの中心部に対して所定の深さまで、炭素及び/または窒素の格子間原子を介することによって窒化クロム及び/又は炭化クロムの形成が低減されて硬化される」のに対して、引用発明においては、「硬化層」は、「窒化処理において、回転軸30をアンモニア中で加熱することにより、アンモニアから発生する窒素が回転軸30中に溶解し、母材であるステンレス鋼に含まれたCr等によって、回転軸30の表面に表面硬化層が形成される」ものである点。
3 判断
上記相違点について以下検討する。
(1) 引用文献2技術事項の「浸炭処理」について
ア 格子間への原子の侵入について
引用文献2技術事項の「浸炭処理」は、「表面から炭素を拡散させて,表面に高炭素の硬い鋼の膜を作る操作」であり(技術常識1(前記1(3)オ(ア)参照))、「鉄の結晶構造の隙間に溶質元素が入り込む侵入型固溶があり、炭素や窒素、ホウ素などが入り込むことで、侵入型固溶となること」(技術常識2(前記1(3)オ(イ)参照))及び「炭素や窒素などの鉄の侵入型元素は、鉄表面からの拡散により浸炭や窒化が起こること」(技術常識3(前記1(3)オ(ウ)参照))という技術常識を参酌すると、引用文献2の「浸炭処理」を施すことにより、オーステナイト系ステンレス鋼の鉄の結晶構造の格子間に炭素原子が入り込むものである。
イ 浸炭処理における炭化クロムの形成低減と炭素固溶層の深さについて
引用文献2技術事項の「浸炭処理」は、「オーステナイト系ステンレス鋼の表層部に炭素が拡散浸透した炭素固溶層」を「深く均一に形成」するものであり、「上記炭素原子は、母材中のクロムとCr7C3やCr23C6等の炭化物をほとんど形成することなく鉄の結晶格子中に侵入固溶していることから上記炭素固溶層中にはクロム炭化物粒子が実質的に存在」しないものとする処理である。
また、「上記炭素固溶層の深さは、ばね素材が、線径の小さい線状である場合、ばね素材の表面から線径の25%以上の深さに形成する」ものであるところ、「機械の部品の材料としては,使用目的によって炭素を表面部に多く,中心部には少なく分布させれば,表面は硬くて耐摩耗性に富み,一方,中心部は軟らかくて粘いので,全体としてはもろさによる破壊を避けることができ、このような製品を作るために,低炭素の材料を用いて切削加工をした後,表面から炭素を拡散させて,表面に高炭素の硬い鋼の膜を作る操作を浸炭ということ」は技術常識(技術常識1(前記1(3)オ(ア)参照))である。
以上を踏まえると、引用文献2技術事項の「浸炭処理」は、炭素固溶層中にはクロム炭化物粒子が実質的に存在せず、炭素固溶層は所定の深さまで形成されるものである。
ウ 引用文献2技術事項の「浸炭処理」についての小括
上記ア及びイから、引用文献2技術事項の「浸炭処理」は、線状のオーステナイト系鋼の少なくとも外側表面を、線状のオーステナイト系鋼の中心部に対して所定の深さまで、炭素の格子間原子を介することによって炭化クロムの形成が低減されて硬化するものである。
(2) 本願発明の想到容易性について
ア 相違点の想到容易性について
(ア) 引用文献1の示唆
引用発明の「表面硬化層」は「窒化処理」により形成されるものであるが、引用文献1の段落【0097】には次のように記載されており、「窒化処理」を「浸炭処理」を採用してもよいことが示唆されている。
「本発明は前記各実施形態に限定されるものではなく、本発明の目的を達成できる範囲での変形、改良は、本発明に含まれるものである。例えば、表面硬化処理としては、前記各実施形態では、窒化処理を採用していたが、これに限られず、浸炭窒化処理や浸炭処理を採用してもよい。・・・(略)・・・また、浸炭処理では、炭素含有量が0.25重量%以下までの低炭素鋼に対して行われる処理で、浸炭処理後の材料は、表面は焼き入れにより、耐摩耗性が大きくなり、材料内部は硬化不能で柔軟な組織のままであるので靱性が高くなるという効果が得られる。」
(イ) 引用文献2技術事項の適用の想到容易性
a 「オーステナイト系ステンレス鋼を浸炭処理するに当たり、表面にクロム炭化物が析出しないように浸炭処理すべきこと」は、オーステナイト系ステンレス鋼の特定の用途における技術者に限られず、オーステナイト系ステンレス鋼に関連する技術を扱う者には、一般的に広く知られた技術常識(技術常識4(前記1(3)オ(エ)参照))であることからみて、引用発明の技術分野の当業者は、前記(ア)で指摘した引用文献1における示唆に従って「窒化処理」に代えて「浸炭処理」の採用に際して、表面にクロム炭化物が析出しない浸炭処理を検討するというべきである。
b 引用文献2の段落【0094】に記載されているように、引用文献2に記載の金属製品は、「ばねとしてだけではなく、動力伝達用ワイヤー,制振材,流し台シンク,カメラやノート型パソコン等の外装ケース等の高強度材としても利用することができるもの」であり、広範な用途を想定しているものであるから、前記(ア)及び(イ)aの思考過程の下、引用発明の技術分野の当業者は、引用文献2技術事項の知識を有している又は当該技術に接する機会が非常に高いというべきである。
c してみれば、引用発明において「表面硬化層」を形成する技術として、「窒化処理」に代えて引用文献2技術事項の「線状のオーステナイト系鋼の少なくとも外側表面を、線状のオーステナイト系鋼の中心部に対して所定の深さまで、炭素の格子間原子を介することによって炭化クロムの形成が低減されて硬化する」ものである「浸炭処理」を採用することにより、上記相違点に係る本願発明の構成とすることは、当業者であれば容易に想到し得たことである。
イ 本願発明の効果について
本願発明の奏する効果は、引用発明、引用文献2技術事項及び技術常識1~4から当業者が予測可能な範囲内のものにすぎず、格別顕著なものであるということはできない。
ウ 小括
上記(1)、(2)ア及びイにおいて検討したとおりであるから、本願発明は、引用発明、引用文献2技術事項及び技術常識1~4に基づいて当業者が容易になし得たものである。
(3) 請求人の主張について
ア 請求人の主張の内容
請求人は、審判請求書において概略次のような主張をしている。
引用文献1、2には、本願発明の「枢動ピンの中心部に対して所定の深さまで、炭素及び/または窒素の格子間原子を介することによって窒化クロム及び/又は炭化クロムの形成が低減されて硬化される硬化層を含む」ことについてまでの開示はなく、本願発明と引用文献1、2の発明は異なるものである。
イ 請求人の主張の検討
引用文献2技術事項の「浸炭処理」が、「線状のオーステナイト系鋼の少なくとも外側表面を、線状のオーステナイト系鋼の中心部に対して所定の深さまで、炭素の格子間原子を介することによって炭化クロムの形成が低減されて硬化するものである」ことは、前記(1)に説示したとおりである。
そして、引用文献2記載技術を引用発明に適用することに困難性を認めることができないことは、前記(2)において検討したとおりである。
請求人の主張は、引用文献2記載の技術を枢動ピンに適用したものが記載されていないという主張にとどまるものであり、前記(1)及び(2)に説示した判断過程の欠陥等を指摘するものではないから、上記請求人の主張は、前記(2)の結論を左右するものではない。
(4) 判断のまとめ
以上、(1)~(3)の検討のとおりであるから、本願発明は、引用発明、引用文献2技術事項及び技術常識1~4に基づいて当業者が容易に想到し得たものである。
第5 むすび
以上のとおりであるから、本願発明は、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。
したがって、他の請求項に係る発明について検討するまでもなく、本願は拒絶すべきものである。
よって、結論のとおり審決する。
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2021-014682