特許異議申立
2026-700181
表面処理特性に優れた冷間工具鋼および工具
- 審判番号
- 2026-700181
- 法域
- 特許
- 審判種別
- 異議申立(異議の決定)
- 出願番号
- 特願2021-015697
- 登録番号
- 7731206
- 請求日
- 2026年03月02日
- 審決日
- 2026年06月19日
- 公報発行日
- 2026年07月31日
- 結論
- 維持
- 当事者
- 【権利者】山陽特殊製鋼株式会社
- 【権利者代理人】横井 知理
- 【権利者代理人】横井 宏理
- 【異議申立人】宮口 喜市
- 審判長/審判官
- 審判長 富永 泰規
- 審判官 井上 猛
- 審判官 酒井 英夫
- 分類
- P1651.537-Y (C22C) / P1651.536-Y (C22C) / P1651.113-Y (C22C) / P1651.121-Y (C22C)
- 条文(本文から自動抽出・参考)
- 特許法第29条、特許法第36条、特許法第113条
- データ出所
- 審決公報(XML)
事件の表示
特許第7731206号発明「表面処理特性に優れた冷間工具鋼および工具」の特許異議申立事件について、次のとおり決定する。
結論
結 論
特許第7731206号の請求項1~3に係る特許を維持する。
理由
理 由
第1 手続の経緯
特許第7731206号(請求項の数3。以下、「本件特許」という。)は、令和3年2月3日を出願日とする特許出願(特願2021-15697号)に係るものであって、令和7年8月21日に設定登録されたものである(特許掲載公報の発行日は、令和7年8月29日である。)。
その後、令和8年3月2日に、本件特許の請求項1~3に係る特許に対して、特許異議申立人である宮口喜市(以下、「申立人」という。)により、特許異議の申立てがされた。
第2 本件発明
本件特許の請求項1~3に係る発明は、本件特許の願書に添付した特許請求の範囲の請求項1~3に記載された事項により特定される以下のとおりのものである(以下、それぞれ「本件発明1」等という。また、本件特許の願書に添付した明細書を「本件明細書」という。)。
【請求項1】
質量%で、C:0.7~1.0%、Si:0.3~1.0%、Mn:0.5%以下、Cr:3.5~9.0%、Mo:1.5~6.0%、W:8.0%以下、V及びNb:V+Nb/2で0.2~2.0%、N:500ppm未満、残部Fe及び不可避的不純物からなり、式SのS値が35以上、式IのI値が150以上の鋼が焼入焼戻しされた状態であって、さらに窒化層が表層に形成されたものであって、その中周部の母材硬さが58HRC以上で、窒化層の最表面から30μmの深さでの硬さが800HV以上、その窒化層深さが70μm以上100μm未満、窒化層の最表面から30μm位置と60μm位置とでの硬度変化が75HV以内である、窒化層を備えた冷間工具鋼。
式S:S=2.0Cr+14.0Mo+3.3W+6.7(V+Nb/2)
式I:I=70Si-Cr+63Mo-153V+23W
但し、式の元素記号には当該成分の%値を代入する。
【請求項2】
請求項1に記載の冷間工具鋼を母材として、表層にさらにPVD法で形成された硬質被膜を備える金型。
【請求項3】
請求項1に記載の冷間工具鋼を母材として、表層にさらにPVD法で形成された硬質被膜を備える工具。
第3 特許異議の申立ての理由の概要
本件特許の請求項1~3に係る特許は、下記1~7のとおり、特許法113条2号及び4号に該当する(証拠方法は下記8を参照。以下、甲第1号証等を単に「甲1」等という。)。
1 申立理由1(明確性要件)
本件発明1~3については、特許請求の範囲の記載が特許法36条6項2号に適合するものではないから、本件特許の請求項1~3に係る特許は、同法113条4号に該当する。
2 申立理由2(実施可能要件)
本件発明1~3については、発明の詳細な説明の記載が特許法36条4項1号に適合するものではないから、本件特許の請求項1~3に係る特許は、同法113条4号に該当する。
3 申立理由3-1(新規性)
本件発明1は、甲1に記載された発明であり、特許法29条1項3号に該当し、特許を受けることができないものであるから、本件特許の請求項1に係る特許は、同法113条2号に該当する。
4 申立理由3-2(新規性)
本件発明1は、甲2に記載された発明であり、特許法29条1項3号に該当し、特許を受けることができないものであるから、本件特許の請求項1に係る特許は、同法113条2号に該当する。
5 申立理由4-1(進歩性)
本件発明1は、甲1に記載された発明に基いて、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(以下、「当業者」という。)が容易に発明をすることができたものであり、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないものであるから、本件特許の請求項1に係る特許は、同法113条2号に該当する。
本件発明2、3は、甲1に記載された発明及び甲5に記載された事項に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものであり、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないものであるから、本件特許の請求項2、3に係る特許は、同法113条2号に該当する。
6 申立理由4-2(進歩性)
本件発明1は、甲2に記載された発明に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものであり、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないものであるから、本件特許の請求項1に係る特許は、同法113条2号に該当する。
本件発明2、3は、甲2に記載された発明及び甲5に記載された事項に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものであり、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないものであるから、本件特許の請求項2、3に係る特許は、同法113条2号に該当する。
7 申立理由4-3(進歩性)
本件発明1は、甲3に記載された発明及び甲1、2に記載された事項に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものであり、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないものであるから、本件特許の請求項1に係る特許は、同法113条2号に該当する。
本件発明2、3は、甲3に記載された発明及び甲1、2、5に記載された事項に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものであり、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないものであるから、本件特許の請求項2、3に係る特許は、同法113条2号に該当する。
8 証拠方法
・甲1 Edison Silva Lima et al., "New ASPN High Efficiency Treatment of ASTM M2 Steel", Materials Research, 2021.01, 24(1), p.1-6
・甲1の2 甲1の公知日を示すもの、<https://www.researchgate.net/publication/348527192_New_ASPN_High_Effieiency_Treatment_of_ASTM_M2_Steel>
・甲1の3 甲1の発行元を示すもの、<https://portal.issn.or g/resource/ISSN/1980-5373#:~:text=Identifiers,Country:%20 BRAZIL>
・甲2 Leonardo Fonseca Oliveira et al., "Comparison of surface properties modification by direct and active screen plasma nitriding of an ASTM M2 high-speed steel in a nitrogen rich gas mixture", Tecnol Metal Mater Min, 2021.01, 18, p.1/8-8/8
・甲2の2 甲2の公知日を示すもの、<https://www.researchgate.net/publication/350775924_Comparison_of_sutface_properties_modification_by_direct_and_active_screen_plasma_nitriding_of_ an_ASTM_M2_high-speed_steel_in_a_nitroge_rich_gas_mixture>
・甲3 J.M. Gonzalez-Carmona et al., " Plasma-assisted nitriding of M2 tool steel: An experimental and theoretical approach", 2018.10, arXiv preprint arXiv 1810.06593
・甲3の2 甲3の公知日、発行元を示すもの、<https:/ /www.researchgate.net/publication/328332727_Plasma-assisted_nitriding_of_M2_tool_steel_An_experimental_and_theoretical_approach>
・甲4 JIS Z2244:2009「ビッカース硬さ試験-試験方法」、平成21年、日本規格協会
・甲4の2 甲4の発行元を示すもの、日本規格協会
・甲5 特開平10-298710号公報
第4 当審における判断
以下に述べるように、特許異議申立書に記載した特許異議の申立ての理由によっては、本件特許の請求項1~3に係る特許を取り消すことはできない。
1 申立理由3-1(新規性)、申立理由4-1(進歩性)
(1)甲1の記載事項、甲1に記載された発明
ア 甲1には、以下の記載がある。なお、訳文は当審において作成した。下線は強調のために付与した。「・・・」は記載の省略を意味する。
(ア)「New ASPN High Efficiency Treatment of ASTM M2 Steel
・・・
1. Introduction
・・・This work presents the characteristics of the developed equipment and the results of the tests performed with ASTM M2 steel. ASTM M2 was used in this work as there are several papers concerning the nitriding of this material. ASTM M2 is a high speed steel used in the manufacturing of cutting and forming tools, and has a good response to plasma nitriding, reaching high wear resistance values, very important for use in cutters, drills, punchers and dies. The aim was to evaluate the gain in treatment performance by using different strategies of bias voltage application in the treatment and comparing with conventional treatments.」(1頁1行、1頁左欄1行~右欄下から6行)
(ASTM M2鋼に対する新しいASPN高効率処理
・・・
1.はじめに
・・・本稿では、開発した装置の特性とASTM M2鋼を用いた試験結果について述べる。ASTM M2鋼は、この材料の窒化に関する論文が多数存在するため、本研究で使用した。ASTM M2は、切削工具や成形工具の製造に使用される高速度鋼であり、プラズマ窒化処理によく反応し、高い耐摩耗性を示すため、カッター、ドリル、パンチ、ダイスなどの用途に非常に重要である。本研究の目的は、処理におけるバイアス電圧印加の異なる戦略を用いて処理性能の向上を評価し、従来の処理と比較することであった。)
(イ)「2. Experimental
Specimens were manufactured from the ASTM M2 steel (0,89% C, 4.2% Cr, 4.9% Mo, 6.2% W, 1.8% C, in Wt%) having 32 mm of diameter and 5 mm of height. The specimens were machined from hardened and tempered bars (austenitizing temperature of 1,150℃ and triple tempering at 540℃ for 3 hours each). The samples present before the treatments an average hardness of 64 HRC. The samples were prepared using 100, 220, 400, 600 and 1200 grade SiC gridding papers, then polished with 3μm diamond paste. Prior to each treatment, the chamber and samples were cleaned with acetone. In each of the tests, 2 samples properly prepared for nitriding were used, the temperature was monitored in an extra sample, with an attached K-type thermocouple.
Four different plasma nitriding configurations were investigated:
1. DCPN, where samples are placed in the nitriding equipment connected to the power supply and the plasma glow develops directly on the samples surface, without active screen;
2. ASPN, where a cylindrical steel screen is placed in the nitriding chamber connected to the power supply, samples are kept at a floating potential, electrically insulated and inside the screen. In this configuration the plasma glow develops only on the screen;
3. Active screen “bright” bias plasma nitriding (ASBBPN), following the same setup as the ASPN treatment, but the samples are not kept at a floating potential. Instead of it, an auxiliary power supply is connected to samples, this biased voltage is high enough to develop a plasma glow on the samples; and,
4. Active screen “dark” bias plasma nitriding (ASDBPN) had a setup similar to the ASBBPN, but with a lower biased voltage, where no plasma glow sheath is seen on the samples.」(1頁右欄下から5行~2頁右欄2行)
(2.実験
試験片は、直径32mm、高さ5mmのASTM M2鋼(重量%で、0.89%C、4.2%Cr、4.9%Mo、6.2%W、1.8%C)から製造された。試験片は、焼入れ焼戻し(オーステナイト化温度1150℃、540℃で3時間ずつ3回焼戻し)された棒から機械加工された。処理前の試験片の平均硬度は64HRCであった。試験片は、100、220、400、600、1200番のSiCグリッド紙を使用して準備され、その後3μmのダイヤモンドペーストで研磨された。各処理の前に、チャンバーと試験片はアセトンで洗浄された。各試験では、窒化用に適切に準備された2つのサンプルが使用され、K型熱電対を取り付けた別のサンプルで温度が監視された。
4種類の異なるプラズマ窒化構成について調査を行った。
1.DCPNでは、サンプルを電源に接続された窒化装置内に設置し、アクティブスクリーンを用いずにサンプル表面に直接プラズマグローを発生させる。
2.ASPNでは、電源に接続された窒化チャンバー内に円筒形の鋼製スクリーンを設置し、サンプルをスクリーン内部で電気的に絶縁された状態で浮遊電位に保持する。この構成では、プラズマグローはスクリーン上にのみ発生する。
3.アクティブスクリーン「ブライト」バイアスプラズマ窒化(ASBBPN)は、ASPN処理と同じ設定に従うが、サンプルは浮遊電位に保持されない。代わりに、補助電源がサンプルに接続され、このバイアス電圧はサンプル上にプラズマグローを発生させるのに十分な高さである。
4.アクティブスクリーン「ダーク」バイアスプラズマ窒化(ASDBPN)は、ASBBPNと同様の構成であるが、バイアス電圧が低く、サンプル上にプラズマグローシースは見られない。)
(ウ)「After the treatment the nitrided samples were cut with diamond disk and embedded in bakelite. The cross-sections were ground and polished with a diamond paste of 1 μm grain size. The polished samples were analyzed trough optical microscopy and microhardness profile. A solution of Nital 2% was used to etch the samples revealing the microstructure of the nitrided layers observed at the optical microscope. The microhardness profiles were obtained to evaluate the plasma nitrided layers by using a Vickers indenter and 100 g load applied for 10 s at each measurement. Non-embedded parts were analyzed for surface hardness, nitrogen concentration depth profiles using Glow-Discharge Optical Emission Spectroscopy (GDOES), and phase analysis using X-ray diffraction technique (XRD) performed on the surface of the samples in the Bragg-Brentano geometry with Cu-Kα radiation.」(3頁右欄1行~16行)
(処理後、窒化処理されたサンプルをダイヤモンドディスクで切断し、ベークライトに埋め込んだ。断面を1μmの粒径のダイヤモンドペーストで研磨した。研磨したサンプルを光学顕微鏡とマイクロ硬度プロファイルで分析した。2%のナイタール溶液を用いてサンプルをエッチングし、光学顕微鏡で観察される窒化層の微細構造を明らかにした。ビッカース圧子を使用し、各測定で10秒間100gの荷重を加えて、プラズマ窒化層を評価するためにマイクロ硬度プロファイルを取得した。埋め込んでいない部品については、表面硬度、グロー放電発光分光法(GDOES)による窒素濃度深さプロファイル、およびCu-Kα線を用いたブラッグ-ブレンターノ配置でのサンプル表面でのX線回折法(XRD)による相分析を行った。)
(エ)「3. Results and Discussion
3.1 Optical microscopy
Figure 4 shows the cross-section micrograph of the etched nitrided samples. For the DCPN and ASDBPN samples, a compound layer (white layer, located in the most superficial area of the samples) is observed. Below the compound layer is the diffusion zone (darker etched zone). The DCPN developed the deepest nitrided case with about 4 μm thick compound layer and 86 μm deep diffusion zone, the DBPN treatment developed a shallower nitrided depth with a thickness of 3 μm and 57 μm for the compound layer and diffusion zone respectively. Both ASPN and ASBBPN treatments developed much shallower nitrided depths than the other treatments, with nitrided layers consisting only with diffusion zone of respectively 12 μm and 19 μm.」(3頁右欄17行~4頁左欄6行)
(3.結果と考察
3.1 光学顕微鏡
図4は、エッチングされた窒化サンプルの断面顕微鏡写真を示している。DCPNおよびASDBPNサンプルでは、化合物層(サンプルの最表面領域にある白色の層)が観察される。化合物層の下には拡散層(より暗いエッチングされた領域)がある。DCPN処理では、約4μmの厚さの化合物層と86μmの深さの拡散層を持つ最も深い窒化層を形成した。DBPN処理では、化合物層と拡散層の厚さがそれぞれ3μmと57μmで、より浅い窒化層が形成された。ASPN処理およびASBBPN処理は、他の処理よりもはるかに浅い窒化層を形成し、窒化層はそれぞれ12μmと19μmの拡散層のみで構成されている。)
(オ)「Figure 4 Cross-section optical microscopies of the nital etched nitrided specimens. Nitrided layers are labelled: C - Compound layer and D - Diffusion zone.」(4頁)
(図4 ナイタールエッチング処理した窒化サンプルの断面光学顕微鏡写真。窒化層は、C:化合物層、D:拡散層とラベル付けされている。)
[図:0001437428000001.jpg]
(カ)「3.3 Microhardness measurements
Figure 6 shows the microhardness profile graphs of the nitrided specimens, the measurements presented at “0” distance from surface depth was taken from surface microhardness measurements. The nitriding treatments for both DCPN and ASDBPN specimens developed the highest and deepest hardened cases, maintaining hardness above 1200 HV0.1 up to 50μm deep. The DCPN sample presented hardness close to 1000 HV0.1 at depths greater than 110 micrometers and the ASDBPN sample has hardness above 800 HV0.1 up to 110 micrometers. These results are compatible with optical microscopy and the nitrogen concentration profile, proving the effectiveness of the ASDBPN method for these conditions. It is observed that the ASPN and ASBBPN samples did not developed a relevant hardness increase, due to the low nitriding potential achieved with these methods for this steel under the conditions tested.」(4頁右欄1行~最下行)
(3.3 微小硬度測定
図6は、窒化処理された試料のマイクロ硬度プロファイルグラフを示しており、表面から「0」の距離で示されている測定値は、表面マイクロ硬度測定から得られたものである。DCPN試料およびASDBPN試料の両方の窒化処理により、最も高く深い硬化層が形成され、深さ50μmまで1200HV0.1を超える硬度が維持された。DCPN試料は110マイクロメートルを超える深さで1000HV0.1に近い硬度を示し、ASDBPN試料は110マイクロメートルまで800 HV0.1を超える硬度を示した。これらの結果は、光学顕微鏡および窒素濃度プロファイルと一致しており、これらの条件下におけるASDBPN法の有効性を証明している。ASPNおよびASBBPN試料では、試験条件下におけるこの鋼材に対するこれらの方法で達成される窒化ポテンシャルが低いため、顕著な硬度増加は見られなかった。)
(キ)「Figure 6 Microhardness profiles for the nitrided specimens.」(5頁)
(図6 窒化処理を施した試料のマイクロ硬度プロファイル)
[図:0001437428000002.jpg]
イ 甲1には、「ASTM M2鋼に対する新しいASPN高効率処理」(上記ア(ア))について記載されているところ、「1.はじめに」(上記ア(ア))、「2.実験」(上記ア(イ)、(ウ))、「3.結果と考察」(上記ア(エ)~(キ))の記載を前提として、DCPNによりプラズマ窒化されたサンプルに着目すると、甲1には、以下の発明が記載されていると認められる。
「重量%で、C:0.89%、Cr:4.2%、Mo:4.9%、W:6.2%、C:1.8%であるASTM M2鋼の焼入れ焼戻しされた棒から機械加工されることで製造された平均硬度が64HRCである試験片が、さらにDCPNによりプラズマ窒化されることで窒化層が形成された、切削工具や成形工具の製造に使用される高速度鋼であるASTM M2鋼からなるサンプルであって、
深さ50μmまで1200HV0.1を超える硬度が維持され、約4μmの厚さの化合物層と86μmの深さの拡散層を持つ窒化層が形成された、サンプル。」(以下、「甲1発明」という。)
(2)本件発明1について
ア 対比
本件発明1と甲1発明とを対比する。
(ア)甲1発明における「DCPNによりプラズマ窒化されることで窒化層が形成された、切削工具や成形工具の製造に使用される高速度鋼であるASTM M2鋼からなるサンプル」は、窒化層が表層に形成されることは明らかであるから、本件発明1における「窒化層が表層に形成された」、「窒化層を備えた冷間工具鋼」に相当する。
(イ)甲1発明における「サンプル」は、「ASTM M2鋼の焼入れ焼戻しされた棒から機械加工されることで製造された」「試験片が、さらにDCPNによりプラズマ窒化されることで」得られたものであるから、上記「サンプル」は、ASTM M2鋼が焼入れ焼戻しされた状態であると認められる。
そうすると、上記(ア)も踏まえると、甲1発明における「ASTM M2鋼の焼入れ焼戻しされた棒から機械加工されることで製造された」「試験片が、さらにDCPNによりプラズマ窒化されることで窒化層が形成された、切削工具や成形工具の製造に使用される高速度鋼であるASTM M2鋼からなるサンプル」は、本件発明1における「鋼が焼入焼戻しされた状態であって、さらに窒化層が表層に形成された」、「窒化層を備えた冷間工具鋼」に相当する。
(ウ)甲1発明において、「深さ50μmまで1200HV0.1を超える硬度が維持され」ることは、本件発明1において、「窒化層の最表面から30μmの深さでの硬さが800HV以上」であることに相当する。
(エ)甲1発明における「約4μmの厚さの化合物層と86μmの深さの拡散層を持つ窒化層」における、「窒化層」を構成する「化合物層」及び「拡散層」の「厚さ」及び「深さ」は、窒化層を光学顕微鏡で観察した図4の断面顕微鏡写真から読み取ったものである(上記(1)ア(ウ)、(エ))。
一方、本件発明1における「窒化層深さが70μm以上100μm未満」における「窒化層深さ」ついては、本件明細書の記載(【0036】~【0038】)によれば、マイクロビッカース硬度計を用いて、窒化層の最表面から深さ30μmの位置を始点とし、深さ200μmまで10μmピッチで測定した窒化層内の硬さ分布において、内部ビッカース硬さ(窒化層の最表面から深さ1100μm位置を始点とし、深さ2000μmまで100μmピッチで測定した10点の硬さの平均値)よりも25ポイント以上高い値を示す位置の中で最も深い位置を「窒化層深さ」とするものである。
そうすると、本件発明1と甲1発明では、窒化層の深さの定義が異なることから、本件発明1において、「窒化層深さが70μm以上100μm未満」であることと、甲1発明において、「窒化層」が「約4μmの厚さの化合物層と86μmの深さの拡散層を持つ」こと、すなわち、窒化層の厚さ又は深さが約90μmであることは、いずれも、「窒化層深さが所定の深さ」である限りで共通する。
(オ)以上によれば、本件発明1と甲1発明とは、
「鋼が焼入焼戻しされた状態であって、さらに窒化層が表層に形成されたものであって、窒化層の最表面から30μmの深さでの硬さが800HV以上、その窒化層深さが所定の深さである、窒化層を備えた冷間工具鋼。」
の点で一致し、以下の点で相違する。
・相違点1-1
鋼の化学成分が、本件発明1では、「質量%で、C:0.7~1.0%、Si:0.3~1.0%、Mn:0.5%以下、Cr:3.5~9.0%、Mo:1.5~6.0%、W:8.0%以下、V及びNb:V+Nb/2で0.2~2.0%、N:500ppm未満、残部Fe及び不可避的不純物からなり、式SのS値が35以上、式IのI値が150以上」であって、「式S:S=2.0Cr+14.0Mo+3.3W+6.7(V+Nb/2)」、「式I:I=70Si-Cr+63Mo-153V+23W」、「但し、式の元素記号には当該成分の%値を代入する。」のに対して、甲1発明では、「重量%で、C:0.89%、Cr:4.2%、Mo:4.9%、W:6.2%、C:1.8%であるASTM M2鋼」である点。
・相違点1-2
本件発明1では、「中周部の母材硬さが58HRC以上で」あるのに対して、甲1発明では、「ASTM M2鋼の焼入れ焼戻しされた棒から機械加工されることで製造された」「試験片」の「平均硬度が64HRCである」点。
・相違点1-3
窒化層深さが、本件発明1では、マイクロビッカース硬度計を用いて、窒化層の最表面から深さ30μmの位置を始点とし、深さ200μmまで10μmピッチで測定した窒化層内の硬さ分布において、内部ビッカース硬さ(窒化層の最表面から深さ1100μm位置を始点とし、深さ2000μmまで100μmピッチで測定した10点の硬さの平均値)よりも25ポイント以上高い値を示す位置の中で最も深い位置を「窒化層深さ」としたとき、「70μm以上100μm未満」であるのに対して、甲1発明では、窒化層を光学顕微鏡で観察した図4の断面顕微鏡写真から読み取ったとき、約90μmである点。
・相違点1-4
本件発明1では、「窒化層の最表面から30μm位置と60μm位置とでの硬度変化が75HV以内である」のに対して、甲1発明では、上記のような「硬度変化」が「75HV以内」であるかどうか不明である点。
イ 相違点1-1の検討
(ア)まず、相違点1-1が実質的な相違点であるか否かについて検討する。
相違点1-1は、鋼の化学成分に関するものであるところ、相違点1-1のうち、まず、Nの含有の有無と含有量について検討し、次に、Siの含有の有無と含有量について検討する。
a 甲1発明のASTM M2鋼は、その化学組成が、「C:0.89%、Cr:4.2%、Mo:4.9%、W:6.2%、C:1.8%である」ところ、Nの含有について特定するものではない。
もっとも、技術常識に照らして、鋼は、Nを積極的に添加せずとも、その製造過程において大気中からNが混入することで、微量のNを含有することが通常である。そして、このことは、甲1発明のASTM M2鋼についても同様と解されるから、甲1発明のASTM M2鋼は、微量のNを含有するものと認められる。
しかしながら、甲1発明のASTM M2鋼が実際にどの程度の量のNを含有するのかは、不明である。また、技術常識に照らして、ASTM M2鋼はASTM A600に準拠するものと解されるところ、ASTM A600を参照しても、Nの含有量については言及がなく、不明である。
そうすると、甲1発明のASTM M2鋼において、Nの含有量が実際に「N:500ppm未満」であるかどうかは、不明である。
以上によれば、相違点1-1のうち、少なくとも、Nの含有量については、実質的な相違点である。
b 甲1発明のASTM M2鋼は、その化学組成が上記aのとおりのものであるところ、Siの含有について特定するものではない。
もっとも、技術常識に照らして、鋼は、その精錬工程においてSiを含む添加剤が添加される等により、少量のSiを含有することが通常である。そして、このことは、甲1発明のASTM M2鋼についても同様と解されるから、甲1発明のASTM M2鋼は、少量のSiを含有するものと認められる。
また、ASTM A600を参照すると、ASTM M2鋼は、Siを「0.20~0.45%」含有すると規定されているから、甲1発明のASTM M2鋼も、Siを「0.20~0.45%」含有すると解する余地がある。
しかしながら、そのように解したとしても、上記「0.20~0.45%」は、本件発明1の「Si:0.3~1.0%」に内包されるものではないから、両者がSi含有量の点で一致するとはいえない。
この点、申立人は、甲1発明のASTM M2鋼は、甲2や甲3から、Siを「約0.4%」含有することが類推されると主張するが、上記のとおり、「0.20~0.45%」含有すると解する余地はあるとしても、実際に「約0.4%」含有するかどうかは、不明である。
以上によれば、相違点1-1のうち、少なくとも、Siの含有量については、実質的な相違点である。
c したがって、相違点1-2~1-4について検討するまでもなく、本件発明1は、甲1に記載された発明であるとはいえない。
(イ)次に、相違点1-1の容易想到性について検討する。
甲1には、甲1発明のASTM M2鋼におけるN含有量については何ら記載されていないから、甲1発明のASTM M2鋼において、「N:500ppm未満」とすることが動機付けられるとはいえない。
また、甲1には、甲1発明のASTM M2鋼におけるSi含有量については何ら記載されておらず、Siを「0.20~0.45%」含有すると規定されているASTM A600を参照しても、甲1発明のASTM M2鋼において、あえて「Si:0.3~1.0%」とすることが動機付けられるとはいえない。
そして、本件発明1は、請求項1に記載される発明特定事項を備えることによって、冷間工具鋼の表層に形成された窒化層を介して形成されたPVD硬質皮膜の剥離が抑制されるという、当業者が予測することができない格別顕著な効果を奏するものである(本件明細書【0003】、【0008】、【0009】、【0015】、【0045】)。
以上によれば、甲1発明において、N含有量及びSi含有量に関する特定を含む相違点1-1に係る発明特定事項を備えたものとすることは、当業者が容易に想到することができたとはいえない。
したがって、相違点1-2~1-4について検討するまでもなく、本件発明1は、甲1に記載された発明に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない。
ウ 小括
以上のとおり、本件発明1は、甲1に記載された発明であるとはいえず、また、甲1に記載された発明に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない。
(3)本件発明2、3について
本件発明2、3は、本件発明1を引用するものであり、本件発明1の発明特定事項を全て備えるものであるが、上記(2)で述べたとおり、本件発明1は、甲1に記載された発明であるとはいえず、また、甲1に記載された発明に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない以上、本件発明2、3についても同様に、甲1に記載された発明であるとはいえず、また、甲1に記載された発明に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない。
また、甲5には、甲1発明において、相違点1-1に係る発明特定事項を備えさせることを動機付ける記載は見当たらない。
以上によれば、本件発明2、3は、甲1に記載された発明及び甲5に記載された事項に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない。
(4)まとめ
以上のとおり、本件発明1は、甲1に記載された発明であるとはいえない。
また、本件発明1は、甲1に記載された発明に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない。
さらに、本件発明2、3は、甲1に記載された発明及び甲5に記載された事項に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない。
したがって、申立理由3-1(新規性)、申立理由4-1(進歩性)によっては、本件特許の請求項1~3に係る特許を取り消すことはできない。
2 申立理由3-2(新規性)、申立理由4-2(進歩性)
(1)甲2の記載事項、甲2に記載された発明
ア 甲2には、以下の記載がある。なお、訳文は当審において作成した。下線は強調のために付与した。「・・・」は記載の省略を意味する。
(ア)「Comparison of surface properties modification by direct and active screen plasma nitriding of an ASTM M2 high-speed steel in a nitrogen rich gas mixture
・・・
1 Introduction
・・・
ASTM M2 is a high-speed tool steel widely used for cutting and forming tools as for example cold work punches and dies. ・・・
・・・
In order to compare the surface properties developed by each technique (DCPN and ASPN), plasma nitriding treatments were carried out with and without the active screen in quenched and tempered ASTM M2 steel samples.」(1/8頁1~3行、1/8頁左欄1行、2/8頁左欄21~23行、37~40行)
(窒素リッチガス混合物中におけるASTM M2高速度鋼の直接プラズマ窒化とアクティブスクリーンプラズマ窒化による表面特性改質の比較
・・・
1 はじめに
・・・
ASTM M2は、冷間加工用パンチやダイなどの切削工具や成形工具に広く使用されている高速工具鋼である。・・・
・・・
各手法(DCPNとASPN)によって得られる表面特性を比較するために、焼入れ焼戻し処理を施したASTM M2鋼サンプルに対し、活性スクリーンを使用した場合と使用しない場合の両方でプラズマ窒化処理を行った。)
(イ)「2 Materials and methods
Disc shaped ASTM M2 steel samples with 31.75 mm of diameter and 5 mm of height were used. Table 1 presents the chemical composition of the steel. Samples were previously quenched (from 1200℃) and triple tempered (at 540 ℃). After heat treating samples were ground using 100, 240, 400, 600 and 1200 grit size silicon carbide sandpapers and polished with 3 μm grain size diamond paste. Prior to each thermochemical treatment the samples were cleaned with alcohol and acetone.
The surface treatments were carried out in a cylindrical stainless-steel vacuum chamber plasma nitriding apparatus (630 mm in diameter and 680 mm in height). ・・・」(2/8頁左欄下から7行~右欄6行)
(2 材料と方法
直径31.75mm、高さ5mmの円盤状のASTM M2鋼サンプルを使用した。表1に鋼の化学組成を示す。サンプルは事前に1200℃から焼入れし、540℃で3回焼戻しを行った。熱処理後、サンプルは100、240、400、600、1200番の炭化ケイ素サンドペーパーで研磨し、3μmの粒度のダイヤモンドペーストで研磨した。各熱化学処理の前に、サンプルをアルコールとアセトンで洗浄した。
表面処理は、円筒形のステンレス鋼真空チャンバープラズマ窒化装置(直径630mm、高さ680mm)で行われた。・・・)
(ウ)「Table 1. Chemical composition of the ASTM M2 samples
Chemical composition verified with a Bruker Q2 Ion Optical Emission Spectrometer.」(2/8頁)
(表1.ASTM M2サンプルの化学組成
化学組成は、ブルカー社製Q2イオン発光分光計を用いて検証した。)
[図:0001437428000003.jpg]
(エ)「The nitrided specimens were cross-sectioned using a low speed diamond precision blade. Sectioned samples were mounted in bakelite, ground with silicon carbide sandpapers and polished using 3 μm grain size diamond paste, for the optical microscopy analysis, samples were etched using 2% Nital solution.
For each mounted samples' cross-section, Vickers microhardness profiles were determined by using a load of 0.98 N (100 gf) and a loading time of 10 s per indentation.・・・」(2/8頁右欄下から18行~下から10行)
(窒化処理された試料は、低速ダイヤモンド精密刃を用いて断面切断された。切断された試料はベークライトに埋め込まれ、炭化ケイ素サンドペーパーで研磨され、3μm粒径のダイヤモンドペーストで研磨された。光学顕微鏡分析のために、試料は2%ナイタール溶液でエッチングされた。
各マウントサンプルの断面について、0.98N(100gf)の荷重と圧痕ごとに10秒の荷重時間でビッカースマイクロ硬度プロファイルを測定した。・・・)
(オ)「3 Results and discussion
The M2 steel microstructure is composed of tempered martensite with dispersed carbides. In the cross-section analysis, the typical nitrided steel promotes the formation of mainly two distinct regions: the compound layer (or white layer) in the outermost surface formed by iron nitrides and the diffusion zone underneath, were the fine precipitation of nitrides of the alloying elements are the main responsible for increasing hardness and generation of compressive residual stresses.
Cross-sectional optical microscope images of the M2 steel treated by DCPN for 4h and for 8h and treated by ASPN for 4h and 8h are shown in Figure 2a to Figure 2d, respectively. The nitrided layer etched with Nital 2% appears white for the compound layer (and primary steel carbides) and dark for the diffusion zone. The different treatment methods developed different case structures, as follow: the DCPN samples (Figure 2a and 2b) presented an evident thin (and cracking) compound layer followed by a diffusion zone underneath, whereas no compound layer was found on the ASPN treated samples (Figure 2c and 2d).」(3/8頁左欄7行~27行)
(3 結果と考察
M2鋼の微細構造は、炭化物が分散した焼戻しマルテンサイトから構成されている。断面解析では、典型的な窒化鋼は主に2つの異なる領域の形成を促進する。1つは最外表面に存在する窒化鉄によって形成される化合物層(または白色層)であり、もう1つはその下にある拡散層である。この拡散層では、合金元素の窒化物の微細な析出が、硬度の向上と圧縮残留応力の発生の主な原因となっている。
図2a~図2dには、それぞれDCPNで4時間および8時間処理したM2鋼と、ASPNで4時間および8時間処理したM2鋼の断面光学顕微鏡画像を示す。2%ナイタールでエッチングした窒化層は、化合物層(および一次鋼炭化物)が白く、拡散ゾーンが暗く見える。異なる処理方法によって、以下のような異なるケース構造が形成された。DCPNサンプル(図2aおよび2b)では、明らかに薄い(そして亀裂のある)化合物層とその下に拡散ゾーンが見られたが、ASPN処理サンプル(図2cおよび2d)では化合物層は見られなかった。)
(カ)「Figure 2. (a-d) Cross-section images of the nitrided samples in different conditions, etched with Nital 2%, CL = Compound Layer, DZ = Diffusion Zone.」(4/8頁)
(図2(a~d)は、異なる条件で窒化処理を施した試料の断面画像である。2%ナイタール溶液でエッチング処理を施し、CLは化合物層、DZは拡散層を示す。)
[図:0001437428000004.jpg]
(キ)「The hardness variation as a function of the distance from surface for the nitrided samples are shown in Figure 3.
These hardness profiles confirm the results already shown by the optical microscope images, i.e., the DCPN samples developed deeper case depths than ASPN samples. The surface hardness ranged from 1100 to 1400 HV0.1. The DCPN samples developed a hardness peak in the subsurface region between 25 to 50 μm deep. When Nitrogen diffuses inwards the steel it replaces Carbon in unstable carbide structures. The released Carbon then reallocates itself to stress-free regions, both to the steel surface, leading to decarburization (and lower hardness in the near-surface regions), and towards the steel core, developing a carbonenriched zone with increased hardness (as seen in the DCPN-4h profile).
Below the hardness peak both treatment methods developed a gradual hardness profile that decrease down to the hardness of the base material. The samples treated by the DCPN technique developed the overall hardness. For the DCPN treatments, the surface hardness was about 1080 HV0.1 at 4 h treatment and 1290 HV0.1 at 8 h treatment. The highest hardness were 1495 HV0.1 and 1350 HV0.1, for the 4 and 8 hour treatment respectively, both in the subsurface region between 25 and 50 micrometers, the DCPN-4h treatment developed the hardness peak due to Carbon migration, while the DCPN-8h presented a more stable hardness baseline, denoting nitrogen saturation. The ASPN samples developed no compound layer and presented surface hardness values of 1127 HV0.1 and 1390 HV0.1, at 4 and 8 h of treatment, respectively.
The microhardness profiles are associated with the nitrogen diffusion. The hardness increase after nitriding treatment is due to three main mechanisms: 1. Solid solution hardening promoted by Nitrogen atoms; 2. Dispersion hardening due to nitrides formation from alloying elements.; And 3. Compressive residual stresses developed in the nitrided layer.
Diffusion Zone depth were measured using the hardness profiles, the end of the diffusion zone was set where the measured hardness was 50 HV above the mean core hardness.
ImageJ software was used to measure the Compound Layer depths of the treated specimens on the micrographs (Figure 2), each specimen was measured in four different positions, the mean measured layers depths are presented in Figure 4 (error bars are set with a confidence interval of 95%). The nitriding treatment of 8 h led to deeper layer for both nitriding methods, the ASPN treatment led to thinner layers than the DCPN for the same gas mixture, temperature and nitriding times.」(3/8頁右欄下から15行~5/8頁左欄下から3行)
(窒化処理された試料の表面からの距離に対する硬度の変化を図3に示す。
これらの硬度プロファイルは、光学顕微鏡画像ですでに示されている結果、すなわち、DCPNサンプルが ASPNサンプルよりも深い硬化層を形成したことを裏付けている。表面硬度は1100~1400HV0.1の範囲であった。DCPNサンプルは、深さ25~50μmの間の表面下領域で硬度のピークを形成した。窒素が鋼の内部に拡散すると、不安定な炭化物構造の炭素と置き換わる。放出された炭素は、応力のない領域に再配置され、鋼の表面に向かって脱炭(表面近傍領域の硬度低下)を引き起こし、鋼の中心部に向かって炭素が濃縮された領域を形成し、硬度が増加する(DCPN-4hプロファイルに見られるように)。
硬度ピークの下では、両方の処理方法とも、ベース材料の硬度まで徐々に低下する硬度プロファイルを発達させた。DCPN技術で処理されたサンプルは、全体的な硬度を発達させた。DCPN処理の場合、表面硬度は4時間処理で約1080HV0.1、8時間処理で1290HV0.1であった。最高硬度は、4時間と8時間処理でそれぞれ1495HV0.1と1350HV0.1であり、どちらも25~50マイクロメートルの表面下領域で、DCPN-4h処理では炭素の移動により硬度ピークが発達したが、DCPN-8hでは窒素飽和を示すより安定した硬度ベースラインを示した。ASPNサンプルは化合物層を発達させず、4時間と8時間処理でそれぞれ1127HV0.1と1390HV0.1の表面硬度値を示した。
マイクロ硬度プロファイルは窒素拡散と関連している。窒化処理後の硬度上昇は、主に以下の3つのメカニズムによるものである。1.窒素原子によって促進される固溶強化。2.合金元素からの窒化物形成による分散強化。3.窒化層に発生する圧縮残留応力。
拡散層の深さは硬度プロファイルを用いて測定し、拡散層の終端は、測定された硬度が平均コア硬度より50HV高い点とした。
ImageJソフトウェアを使用して、顕微鏡写真(図2)上の処理済み試料の化合物層の深さを測定した。各試料は4つの異なる位置で測定され、測定された層の平均深さを図4に示す(誤差範囲は95%の信頼区間で設定されている)。8時間の窒化処理は、両方の窒化方法でより深い層をもたらしたが、同じガス混合物、温度、窒化時間では、ASPN処理はDCPNよりも薄い層をもたらした。)
(ク)「Figure 3. Microhardness profiles for the nitrided samples. The data regarding position “0” in the “Distance from surface” axis is from measurements taken from surface indentations, the rest are from cross-section measurements.」(4/8頁)
(図3は、窒化処理を施した試料のマイクロ硬度プロファイルである。「表面からの距離」軸の「0」の位置のデータは、表面圧痕から得られた測定値であり、その他のデータは断面測定値である。)
[図:0001437428000005.jpg]
(ケ)「Figure 4. Nitrided layer depth measurements. Diffusion Zone depth was measured in the hardness profiles; Compound Layer depth was measured in the micrographs.」(5/8頁)
(図4.窒化層深さの測定結果。拡散層の深さは硬度プロファイルで測定し、化合物層の深さは顕微鏡写真で測定した。)
[図:0001437428000006.jpg]
イ 甲2には、「窒素リッチガス混合物中におけるASTM M2高速度鋼の直接プラズマ窒化とアクティブスクリーンプラズマ窒化による表面特性改質の比較」(上記ア(ア))について記載されているところ、「1 はじめに」(上記ア(ア))、「2 材料と方法」(上記ア(イ)~(エ))、「3 結果と考察」(上記ア(オ)~(ケ))の記載を前提として、DCPNで8時間でプラズマ窒化処理されたサンプルに着目すると、甲2には、以下の発明が記載されていると認められる。
「重量%で、C:1.00%、Si:0.40%、Mn:0.27%、Cr:3.80%、Mo:4.40%、V:1.75%、W:6.85%、残部がFeである焼入れ焼戻し処理が施されたASTM M2鋼が、DCPNで8時間でプラズマ窒化処理されることで窒化層が形成された、冷間加工用パンチやダイなどの切削工具や成形工具に使用される高速工具鋼であるASTM M2鋼サンプルであって、
サンプルの断面について、0.98N(100gf)の荷重と圧痕ごとに10秒の荷重時間でビッカースマイクロ硬度プロファイルが測定され、表面からの距離に対する硬度の変化は図3に示されるものであり、
窒化層は化合物層とその下にある拡散層を有し、化合物層の深さは5.7μmであり、拡散層の深さは94.9μmである、サンプル。」(以下、「甲2発明」という。)
(2)本件発明1について
ア 対比
本件発明1と甲2発明とを対比する。
(ア)甲2発明における「DCPNで8時間でプラズマ窒化処理されることで窒化層が形成された、冷間加工用パンチやダイなどの切削工具や成形工具に使用される高速工具鋼であるASTM M2鋼サンプル」は、窒化層が表層に形成されることは明らかであるから、本件発明1における「窒化層が表層に形成された」、「窒化層を備えた冷間工具鋼」に相当する。
(イ)甲2発明における「サンプル」は、「焼入れ焼戻し処理が施されたASTM M2鋼が、DCPNで8時間でプラズマ窒化処理されることで」得られたものであるから、上記「サンプル」は、ASTM M2鋼が焼入れ焼戻しされた状態であると認められる。
そうすると、上記(ア)も踏まえると、甲2発明における「焼入れ焼戻し処理が施されたASTM M2鋼が、DCPNで8時間でプラズマ窒化処理されることで窒化層が形成された、冷間加工用パンチやダイなどの切削工具や成形工具に使用される高速工具鋼であるASTM M2鋼サンプル」は、本件発明1における「鋼が焼入焼戻しされた状態であって、さらに窒化層が表層に形成された」、「窒化層を備えた冷間工具鋼」に相当する。
(ウ)甲2発明は、「サンプルの断面について、0.98N(100gf)の荷重と圧痕ごとに10秒の荷重時間でビッカースマイクロ硬度プロファイルが測定され、表面からの距離に対する硬度の変化は図3に示されるもの」であるところ、図3によれば、「DCPN-8h」については、表面から30μmの深さでのマイクロビッカース硬度は、プロットが存在しないため、厳密には不明であるものの、概ね1300HV0.1超であることが看取されるから、本件発明1において、「窒化層の最表面から30μmの深さでの硬さが800HV以上」であることに相当する。
(エ)甲2発明における「窒化層は化合物層とその下にある拡散層を有し、化合物層の深さは5.7μmであり、拡散層の深さは94.9μmである」における「窒化層」を構成する「化合物層の深さ」は、ImageJソフトウェアを使用して、図2bの断面光学顕微鏡写真の4つの異なる位置で測定された深さの平均であり(上記(1)ア(キ))、同「拡散層の深さ」は、マイクロ硬度プロファイルを用いて測定し、測定された硬度が平均コア硬度より50HV高い点を拡散層の終端とした深さである(上記(1)ア(キ))。
一方、本件発明1における「窒化層深さが70μm以上100μm未満」における「窒化層深さ」ついては、上記1(2)ア(エ)のとおり、マイクロビッカース硬度計を用いて、窒化層の最表面から深さ30μmの位置を始点とし、深さ200μmまで10μmピッチで測定した窒化層内の硬さ分布において、内部ビッカース硬さ(窒化層の最表面から深さ1100μm位置を始点とし、深さ2000μmまで100μmピッチで測定した10点の硬さの平均値)よりも25ポイント以上高い値を示す位置の中で最も深い位置を「窒化層深さ」とするものである。
そうすると、本件発明1と甲2発明では、窒化層の深さの定義が異なることから、本件発明1において、「窒化層深さが70μm以上100μm未満」であることと、甲2発明において、「窒化層は化合物層とその下にある拡散層を有し、化合物層の深さは5.7μmであり、拡散層の深さは94.9μmである」こと、すなわち、窒化層の深さが約100.6μmであることは、いずれも、「窒化層深さが所定の深さ」である限りで共通する。
(オ)以上によれば、本件発明1と甲2発明とは、
「鋼が焼入焼戻しされた状態であって、さらに窒化層が表層に形成されたものであって、窒化層の最表面から30μmの深さでの硬さが800HV以上、その窒化層深さが所定の深さである、窒化層を備えた冷間工具鋼。」
の点で一致し、以下の点で相違する。
・相違点2-1
鋼の化学成分が、本件発明1では、「質量%で、C:0.7~1.0%、Si:0.3~1.0%、Mn:0.5%以下、Cr:3.5~9.0%、Mo:1.5~6.0%、W:8.0%以下、V及びNb:V+Nb/2で0.2~2.0%、N:500ppm未満、残部Fe及び不可避的不純物からなり、式SのS値が35以上、式IのI値が150以上」であって、「式S:S=2.0Cr+14.0Mo+3.3W+6.7(V+Nb/2)」、「式I:I=70Si-Cr+63Mo-153V+23W」、「但し、式の元素記号には当該成分の%値を代入する。」のに対して、甲2発明では、「重量%で、C:1.00%、Si:0.40%、Mn:0.27%、Cr:3.80%、Mo:4.40%、V:1.75%、W:6.85%、残部がFeである」「ASTM M2鋼」である点。
・相違点2-2
本件発明1では、「中周部の母材硬さが58HRC以上で」あるのに対して、甲2発明では、「中周部の母材硬さ」が不明である点。
・相違点2-3
窒化層深さが、本件発明1では、マイクロビッカース硬度計を用いて、窒化層の最表面から深さ30μmの位置を始点とし、深さ200μmまで10μmピッチで測定した窒化層内の硬さ分布において、内部ビッカース硬さ(窒化層の最表面から深さ1100μm位置を始点とし、深さ2000μmまで100μmピッチで測定した10点の硬さの平均値)よりも25ポイント以上高い値を示す位置の中で最も深い位置を「窒化層深さ」としたとき、「70μm以上100μm未満」であるのに対して、甲2発明では、ImageJソフトウェアを使用して、図2bの断面光学顕微鏡写真の4つの異なる位置で測定された深さの平均である「化合物層の深さ」が「5.7μm」であり、マイクロ硬度プロファイルを用いて測定し、測定された硬度が平均コア硬度より50HV高い点を拡散層の終端とした深さである「拡散層の深さ」が「94.9μm」であり、これらの合計として100.6μmである点。
・相違点2-4
本件発明1では、「窒化層の最表面から30μm位置と60μm位置とでの硬度変化が75HV以内である」のに対して、甲2発明では、上記のような「硬度変化」が「75HV以内」かどうか不明である点。
イ 相違点2-1の検討
(ア)まず、相違点2-1が実質的な相違点であるか否かについて検討する。
相違点2-1は、鋼の化学成分に関するものであるところ、相違点2-1のうち、Nの含有の有無と含有量について検討する。
甲2発明のASTM M2鋼は、その化学組成が、「C:1.00%、Si:0.40%、Mn:0.27%、Cr:3.80%、Mo:4.40%、V:1.75%、W:6.85%、残部がFeである」ところ、Nの含有について特定するものではない。
この点、上記1(2)イ(ア)aで述べたのと同様の理由により、甲2発明のASTM M2鋼において、Nの含有量が実際に「N:500ppm未満」であるかどうかは、不明である。
以上によれば、相違点2-1のうち、少なくとも、Nの含有量については、実質的な相違点である。
(イ)次に、相違点2-1の容易想到性について検討する。
甲2には、甲2発明のASTM M2鋼におけるN含有量については何ら記載されていないから、甲2発明のASTM M2鋼において、「N:500ppm未満」とすることが動機付けられるとはいえない。
そして、本件発明1は、上記1(2)イ(イ)で述べたとおり、請求項1に記載される発明特定事項を備えることによって、冷間工具鋼の表層に形成された窒化層を介して形成されたPVD硬質皮膜の剥離が抑制されるという、当業者が予測することができない格別顕著な効果を奏するものである。
以上によれば、甲2発明において、Nの含有量に関する特定を含む相違点2-1に係る発明特定事項を備えたものとすることは、当業者が容易に想到することができたとはいえない。
ウ 相違点2-2の検討
(ア)まず、相違点2-2が実質的な相違点であるか否かについて検討する。
a 本件発明1における「中周部の母材硬さが58HRC以上」における「中周部の母材硬さ」については、本件明細書の記載(【0027】、【0031】)によれば、焼入焼戻しされた状態の母材の硬さであって、例えば、角材からなるサンプルの場合、一般に合金の化学成分や組織が不均質となることが知られている中心部や表層部を避けた、角材断面の中間的な周回部分の硬さを意味するものと認められる。
b これに対して、甲2には、上記aのような「中周部の母材硬さ」については何ら記載されていないから、甲2発明において、「中周部の母材硬さ」が実際に「58HRC以上」であるかどうかは不明である。
c この点、申立人は、甲1には、本件発明1の化学成分を満たす冷間工具鋼が焼入れ焼戻しされた状態の硬さが64HRCであることが記載されているところ、甲2発明も、本件発明1の化学成分を満たす冷間工具鋼が焼入れ焼戻しされたものであり、本件明細書には、このような母材硬さを有するための焼入れ焼戻しの条件等が何ら記載されていないから、甲2発明も「中周部の母材硬さ」が(64HRCであり、)「58HRC以上」である蓋然性が高いと主張する。
しかしながら、甲1発明と甲2発明とは、化学成分が一致するものではなく、その熱処理条件等も一致するものではない(上記1(1)ア(イ)、2(1)ア(イ)を参照)から、甲2発明においても、「中周部の母材硬さ」が64HRCであるとはいえず、そうであれば、「58HRC以上」であるかどうかは、不明である。
d 以上によれば、相違点2-2は実質的な相違点である。
(イ)次に、相違点2-2の容易想到性について検討する。
甲2には、上記(ア)aのような「中周部の母材硬さ」については何ら記載されていないから、甲2発明において、「中周部の母材硬さ」を「58HRC以上」とすることが動機付けられるとはいえない。
そして、本件発明1は、上記1(2)イ(イ)で述べたとおり、請求項1に記載される発明特定事項を備えることによって、冷間工具鋼の表層に形成された窒化層を介して形成されたPVD硬質皮膜の剥離が抑制されるという、当業者が予測することができない格別顕著な効果を奏するものである。
以上によれば、甲2発明において、「中周部の母材硬さ」を「58HRC以上」とすることは、当業者が容易に想到することができたとはいえない。
エ 小括
上記イ、ウのとおりであるから、相違点2-3、2-4について検討するまでもなく、本件発明1は、甲2に記載された発明であるとはいえず、また、甲2に記載された発明に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない。
(3)本件発明2、3について
本件発明2、3は、本件発明1を引用するものであり、本件発明1の発明特定事項を全て備えるものであるが、上記(2)で述べたとおり、本件発明1は、甲2に記載された発明であるとはいえず、また、甲2に記載された発明に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない以上、本件発明2、3についても同様に、甲2に記載された発明であるとはいえず、また、甲2に記載された発明に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない。
また、甲5には、甲2発明において、相違点2-1に係る発明特定事項や相違点2-2に係る発明特定事項を備えさせることを動機付ける記載は見当たらない。
以上によれば、本件発明2、3は、甲2に記載された発明及び甲5に記載された事項に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない。
(4)まとめ
以上のとおり、本件発明1は、甲2に記載された発明であるとはいえない。
また、本件発明1は、甲2に記載された発明に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない。
さらに、本件発明2、3は、甲2に記載された発明及び甲5に記載された事項に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない。
したがって、申立理由3-2(新規性)、申立理由4-2(進歩性)によっては、本件特許の請求項1~3に係る特許を取り消すことはできない。
3 申立理由4-3(進歩性)
(1)甲3の記載事項、甲3に記載された発明
ア 甲3には、以下の記載がある。なお、訳文は当審において作成した。下線は強調のために付与した。「・・・」は記載の省略を意味する。
(ア)「Plasma-assisted nitriding of M2 tool steel: An experimental and theoretical approach
Abstract
Present work was aimed to investigate the effect of nitriding time; 1, 1.5, 2.5 & 3.5 h, on surface characteristics & mechanical properties (surface nano-hardness, hardness Vickers, and adhesion) of AISI M2 tool steel. Mechanically effective compound (4 to 17.6 um) and diffusion layers (50.8 to 82.4 um) were obtained. Plasma nitriding considerably improved Surface engineering has been recognized as a family of technologies used to modify or improve the surface properties of a substrate. Nano-hardness, E-moduli and resistance to scratch of AISI M2 steel. Surface properties enhancement was associated to two harmonious effects at the nano-scale resulted by (a) stable nitride phases formation such as: γ′-Fe4N, ε-Fe2,3N, and (b) no brittle nitride networks and no critical decarburization of the steel upon nitriding. Thermodynamic calculations are in agreement with the experimental findings.」
(M2工具鋼のプラズマ支援窒化:実験的および理論的アプローチ
要約
本研究は、窒化時間(1、1.5、2.5、3.5時間)がAISI M2工具鋼の表面特性および機械的特性(表面ナノ硬度、ビッカース硬度、接着性)に及ぼす影響を調査することを目的とした。機械的に有効な化合物層(4~17.6μm)および拡散層(50.8~82.4μm)が得られた。プラズマ窒化により、AISI M2鋼のナノ硬度、E弾性率、および耐擦傷性が大幅に向上した。表面特性の向上は、(a)γ′-Fe4N、ε-Fe2,3Nなどの安定な窒化物相の形成、および(b)窒化時に脆い窒化物ネットワークがなく、鋼の重大な脱炭がないことによってもたらされるナノスケールでの2つの調和効果に関連している。熱力学的計算は実験結果と一致している。)
(イ)「2. Experimental Methodology
2.1 The plasma nitriding process (PNP)
Plasma nitriding process was carried out on commercial AISI M2 tool steel grade substrates, 25.4 mm diameter and 5 mm height cylindrical samples. Chemical composition of the steel was determined using a Horiba GD profiler 2, Glow Discharge Optical Emission Spectroscopy (GDOES) and the results are shown in Table I. Prior PNP surface samples were treated using abrasive paper (180 - 1200) and mirror polished applying diamond paste (3 - 6 um), then ultrasonically cleaned in isopropyl alcohol, dried and fixed in the substrate holder to be placed in the reactor chamber.
Table I. Chemical composition of commercial AISI M2 steel.
[図:0001437428000007.jpg]
For Plasma nitriding, a Metaplas Domino Mini system from Oerlikon was used. The unit is equipped with an Arc Enhanced Glow Discharge (AEGD) process in a shielded titanium target to generate high electron and ionic density in the chamber, using an 80 % active RF cathodic arc with 80 A at 20 kHz. Plasma cleaning during 25 min was performed in Ar atmosphere with a -250 V RF bias at 20 kHz and 80 % active time, to reduce superficial contamination and activate the substrate surface. The samples were heated to about 350℃ prior to nitriding using a 9 kW radiator. Then, the samples were plasma nitrided during 1, 1.5, 2.5 and 3.5 hours. Table II shows detailed information regarding the nitriding parameters used in this investigation.」
(2.実験方法
2.1 プラズマ窒化処理(PNP)
プラズマ窒化処理は、市販のAISI M2工具鋼基板(直径25.4 mm、高さ5 mmの円筒形サンプル)に対して実施した。鋼の化学組成は、Horiba GDプロファイラ2、グロー放電発光分光法(GDOES)を用いて測定し、結果を表Iに示す。PNP処理前のサンプル表面は、研磨紙(180~1200番)で研磨し、ダイヤモンドペースト(3~6 μm)を用いて鏡面研磨した後、イソプロピルアルコール中で超音波洗浄し、乾燥させて基板ホルダーに固定し、反応炉チャンバー内に設置した。)
表I.市販のAISI M2鋼の化学組成
(表Iは省略)
プラズマ窒化処理には、エリコン社製のMetaplas Domino Miniシステムを使用した。この装置は、シールドされたチタンターゲットを用いたアーク強化グロー放電(AEGD)プロセスを備えており、チャンバー内に高電子密度および高イオン密度を発生させる。80%の活性RFカソードアーク(80A、20kHz)を使用する。表面汚染を低減し、基板表面を活性化するため、Ar雰囲気下、-250VのRFバイアス(20kHz、活性時間80%)で25分間のプラズマクリーニングを行った。窒化処理に先立ち、サンプルを9kWラジエーターで約350℃まで加熱した。その後、サンプルを1時間、1.5時間、2.5時間、3.5時間プラズマ窒化処理した。表IIに、本研究で使用した窒化パラメータの詳細を示す。)
(ウ)「2.2 Microstructural and phase analysis after nitriding
Microstructural analysis was performed using an Optical Microscope (OM). For this purpose, the samples were cut using a diamond disc and mounted in Bakelite. The fixed cross-sections of the specimens were mirror polished and etched using a 4 vol. % Nital solution. Crystalline structure changes of the samples after nitriding were followed by mean of Grazing Angle XRay Diffraction (GAXRD) in a Rigaku Smartlab diffractometer, using a Cu-K∝ (λ= 1.54059 A) radiation source, in a 2θ range between 10° and 90° with 0.01° step/s. Phase quantification was performed by Rietveld Refinement analysis considering the Fundamental Parameters Approach (FPA) of the indexed nitrides and carbides applying the PDXL software from Rigaku, obtaining in all cases correlation values in the least squares method of Rwp below 3% and normalized residual (S) < 1.09.」
(2.2 窒化処理後の微細構造および相解析
微細構造解析は光学顕微鏡(OM)を用いて行った。サンプルはダイヤモンドディスクで切断し、ベークライトに包埋した。試料の固定断面は鏡面研磨され、4体積%のナイタール溶液を用いてエッチングされた。窒化処理後のサンプルの結晶構造変化は、リガク社製スマートラボ回折計を用い、Cu-Kα線(λ=1.54059オングストローム)を線源として、2θ範囲10°~90°、ステップ幅0.01°/秒で斜入射X線回折(GAXRD)により測定した。相定量は、Rigaku社製PDXLソフトウェアを用いて、指標化された窒化物および炭化物の基本パラメータ法(FPA)を考慮したリートベルト精密化解析によって行われた。すべてのケースにおいて、最小二乗法によるRwpの相関値は3%未満、正規化残差(S)は1.09未満であった。)
(エ)「2.4 The nano-mechanical and scratch testing evaluation
・・・Vickers microhardness measurements in the cross sections were performed using a Vickers diamond indenter applying 1 N load.」
(2.4 ナノメカニカル特性およびスクラッチ試験評価
・・・断面におけるビッカースマイクロ硬度測定は、1Nの荷重を印加したビッカースダイヤモンド圧子を用いて行った。)
(オ)「3. Results and discussion
3.1 Compound and diffusion layers
The effect of the plasma assisted nitriding time on the compound (CL) and diffusion layers (DL) of the M2 steel is shown in the optical images of Fig. 1. In all specimens upon increasing treatment times (1.0, 1.5, 2.5 & 3.5 h) two regions are observed which clearly display N gradients starting at the surface and going up to the alloy core. The first region (compound layer), consist in a thin layer of γ′-Fe4N and ε-Fe2,3N phases with fine precipitates of nitrides and carbonitrides of alloying elements. The second region defines the diffusion layer which is subdivided into two zones; the first zone under the compound layer consisting mainly of γ′-Fe4N phase and M6C carbides (where M = W, Mo, Co) precipitated in the grain boundaries of α-Fe matrix & the second zone having alloying precipitates with continuous reduction of the γ′-Fe4N phase.・・・
・・・
The effect of nitriding time on compound- & diffusion-thickness layers are presented in Fig. 2. This graph shows an approx. 4 μm thick compound layer (CL) reached only within 1 h. Nitriding time increment to 1.5 h resulted in about 66.1 % CL-thickness increase. Only ~ 69.2 % increase on CL-thickness was achieved upon 2.5 h nitriding while about 77.4 % relative increase was obtained after 3.5 h (17.6 μm). Similar effect was observed on the diffusion layer (DL) thickness where ~ 50.8 μm was reached within 1 h. Increments of 15.3 % and 39.4 % DL-thicknesses were observed after 1.5 and 2.5 h nitriding times, respectively. A maximum DL-thickness increment of about 62 % (82.4 μm) was reached after 3.5 h. These CL and DL thickness results highlight the efficiency of the plasma nitriding process.・・・In our investigation the use of hydrogen and the AEGD process enhances surface activation and ion density in the reaction chamber, reducing even further the time needed to obtain well defined compound and diffusion layers in high alloyed AISI M2 steel.
[図:0001437428000008.jpg]
Figure 2. Compound and diffusion layer thicknesses after plasma nitriding at different process times.」
(3.結果と考察
3.1 化合物層と拡散層
プラズマ支援窒化処理時間がM2鋼の化合物層(CL)と拡散層(DL)に及ぼす影響を図1の光学画像に示す。処理時間を増加させる(1.0、1.5、2.5、3.5時間)と、すべての試料において、表面から合金コアに向かって窒素勾配が明確に現れる2つの領域が観察される。第1の領域(化合物層)は、γ′-Fe4N相とε-Fe2,3N相の薄層からなり、合金元素の窒化物および炭窒化物の微細な析出物が含まれている。第2の領域は拡散層であり、2つのゾーンに細分化され、化合物層の下の第1ゾーンは、主にγ′-Fe4N相とα-Feマトリックスの粒界に析出したM6C炭化物(M=W、Mo、Co)からなり、第2ゾーンはγ′-Fe4N相が連続的に減少した合金析出物から構成されている。・・・
・・・
窒化時間が化合物層および拡散層の厚さに及ぼす影響を図2に示す。このグラフは、おおよそ4μm厚の化合物層(CL)は、わずか1時間で形成されたことを示す。窒化時間を1.5時間まで延長すると、CL厚は約66.1%増加した。2.5時間窒化した場合、CL厚の増加は約69.2%にとどまったが、3.5時間後には約77.4%の相対的な増加(17.6μm)が得られた。拡散層(DL)の厚さについても同様の効果が観察され、1時間で約50.8μmに達した。1.5時間および2.5時間窒化した場合、DL厚はそれぞれ15.3%および39.4%増加した。3.5時間後には、DL厚の最大増加は約62%(82.4μm)に達した。これらのCLおよびDL厚の結果は、プラズマ窒化プロセスの効率性を強調している。・・・本研究では、水素とAEGDプロセスを用いることで、反応チャンバー内の表面活性化とイオン密度が向上し、高合金AISI M2鋼において明確な化合物層と拡散層を得るのに必要な時間をさらに短縮できることが示された。
(図2は省略)
図2.異なる処理時間におけるプラズマ窒化後の化合物層および拡散層の厚さ)
(カ)「3.4 Mechanical properties
・・・
Hardness Vickers has be used as criteria to determine the diffusion zone thickness and the boundary to the steel core. In the present study, microhardness measurements performed on the cross-sections at increasing surface depths are shown in Fig. 7. Nitrided surfaces showed similar hardness (600 - 900 HV) up to 40 μm depth, regardless the nitriding times. This corresponds to a 460 % increase relative to the steel without treatment. Upon 3.5 h nitriding time, high hardness is obtained up to depths close to 80 μm, which is in good agreement with the findings made by optical microscopy. At depths > 120 μm hardness is related to the nontreated steel (192.3 ± 5 HV). This hardness increase is related to formation of stable nitrides εFe2,3N and γ′-Fe4N identified by the GAXRD analysis. These nitride phases, the solid solution of N atoms in the α-Fe matrix and alloy nitrides precipitates, cause grain size increases and reduces grain boundaries, acting as dislocation movements blockers and residual stresses produced at the nitride layers.
[図:0001437428000009.jpg]
Figure 7. Hardness Vickers on the cross-sections of nitrided M2 steel coupons.」
(3.4 機械的特性
・・・
ビッカース硬度は、拡散層の厚さと鋼芯との境界を決定するための基準として用いられた。本研究では、表面深さを段階的に変化させた断面におけるマイクロ硬度測定結果を図7に示す。窒化処理された表面は、窒化処理時間に関わらず、深さ40μmまでほぼ一定の硬度(600~900HV)を示した。これは、未処理鋼と比較して460%の増加に相当する。窒化処理時間を3.5時間とした場合、深さ約80μmまで高い硬度が得られ、これは光学顕微鏡による観察結果とよく一致している。深さ120μmを超えると、硬度は未処理鋼と同程度(192.3±5HV)となった。この硬度上昇は、GAXRD分析で確認された安定な窒化物εFe2,3Nおよびγ′-Fe4Nの形成に関連している。これらの窒化物相は、α-Feマトリックス中のN原子の固溶体および合金窒化物析出物であり、結晶粒径の増大と粒界の減少を引き起こし、転位移動の阻害因子として作用し、窒化物層に残留応力を発生させる。
(図7は省略)
図7.窒化処理されたM2鋼試験片の断面におけるビッカース硬度)
イ 甲3には、「M2工具鋼のプラズマ支援窒化:実験的および理論的アプローチ」(上記ア(ア))について記載されているところ、「要約」(上記ア(ア))、「2.実験方法」(上記ア(イ))、「2.2 窒化処理後の微細構造および相解析」(上記ア(ウ))、「2.4 ナノメカニカル特性およびスクラッチ試験評価」(上記ア(エ))、「3.1 化合物層と拡散層」(上記ア(オ))、「3.4 機械的特性」(上記ア(カ))の記載を前提として、窒化時間が3.5時間であるAISI M2工具鋼の試験片に着目すると、甲3には、以下の発明が記載されていると認められる。
「重量%で、C:0.9%、Si:0.39%、Mn:0.286%、Cr:3.97%、Mo:3.83%、W:4.17%、V:1.43%、Co:0.445%、残部がFeであるAISI M2工具鋼が、窒化時間3.5時間でプラズマ窒化処理されることで化合物層と拡散層が形成された、AISI M2工具鋼の試験片であって、
断面におけるビッカースマイクロ硬度測定は、1Nの荷重を印加したビッカースダイヤモンド圧子を用いて行われ、その結果は図7に示されるものであり、深さ40μmまでほぼ一定の硬度を示し、深さ約80μmまで高い硬度が得られており、
化合物層の厚さが17.63μmであり、拡散層の厚さが82.4μmである、試験片。」(以下、「甲3発明」という。)
(2)本件発明1について
ア 対比
本件発明1と甲3発明とを対比する。
(ア)甲3発明における「窒化時間3.5時間でプラズマ窒化処理されることで化合物層と拡散層が形成された、AISI M2工具鋼の試験片」について、技術常識に照らして、プラズマ窒化処理により形成された化合物層と拡散層の両者をあわせて窒化層と理解できること、これらの層が表層に形成されること、AISI M2工具鋼が各種の冷間工具に用いられる高速度鋼であることは、いずれも当業者にとって明らかである。
そうすると、甲3発明における「窒化時間3.5時間でプラズマ窒化処理されることで化合物層と拡散層が形成された、AISI M2工具鋼の試験片」は、本件発明1における「窒化層が表層に形成された」、「窒化層を備えた冷間工具鋼」に相当する。
(イ)甲3発明は、「断面におけるビッカースマイクロ硬度測定は、1Nの荷重を印加したビッカースダイヤモンド圧子を用いて行われ、その結果は図7に示されるものであり、深さ40μmまでほぼ一定の硬度を示し、深さ約80μmまで高い硬度が得られて」いるものであるところ、図7によれば、「3.5hours」については、表面から30μmの深さでのビッカースマイクロ硬度は、プロットが存在しないため、厳密には不明であるものの、概ね800HV0.1を下回ることが看取される。
そうすると、本件発明1において、「窒化層の最表面から30μmの深さでの硬さが800HV以上」であることと、甲3発明において、「断面におけるビッカースマイクロ硬度測定は、1Nの荷重を印加したビッカースダイヤモンド圧子を用いて行われ、その結果は図7に示されるものであり、深さ40μmまでほぼ一定の硬度を示し、深さ約80μmまで高い硬度が得られて」いることは、いずれも、「窒化層の最表面から30μmの深さでの硬さが所定のビッカース硬さ」である限りで共通する。
(ウ)甲3発明における「化合物層の厚さが17.63μmであり、拡散層の厚さが82.4μmである」における「化合物層」及び「拡散層」の「厚さ」については、甲3に、「ビッカース硬度は、拡散層の厚さと鋼芯との境界を決定するための基準として用いられた。」(上記(1)ア(カ))との記載はあるものの、その定義は明らかではない。
一方、本件発明1における「窒化層深さが70μm以上100μm未満」における「窒化層深さ」ついては、上記1(2)ア(エ)のとおり、マイクロビッカース硬度計を用いて、窒化層の最表面から深さ30μmの位置を始点とし、深さ200μmまで10μmピッチで測定した窒化層内の硬さ分布において、内部ビッカース硬さ(窒化層の最表面から深さ1100μm位置を始点とし、深さ2000μmまで100μmピッチで測定した10点の硬さの平均値)よりも25ポイント以上高い値を示す位置の中で最も深い位置を「窒化層深さ」とするものである。
そうすると、上記(ア)を踏まえると、本件発明1と甲3発明では、窒化層の深さの定義が同じといえるかどうか不明であることから、本件発明1において、「窒化層深さが70μm以上100μm未満」であることと、甲3発明において、「化合物層の厚さが17.63μmであり、拡散層の厚さが82.4μmである」こと、すなわち、窒化層の深さが100.03μmであることは、いずれも、「窒化層深さが所定の深さ」である限りで共通する。
(エ)以上によれば、本件発明1と甲3発明とは、
「窒化層が表層に形成されたものであって、窒化層の最表面から30μmの深さでの硬さが所定のビッカース硬さ、その窒化層深さが所定の深さである、窒化層を備えた冷間工具鋼。」
の点で一致し、以下の点で相違する。
・相違点3-1
鋼の化学成分が、本件発明1では、「質量%で、C:0.7~1.0%、Si:0.3~1.0%、Mn:0.5%以下、Cr:3.5~9.0%、Mo:1.5~6.0%、W:8.0%以下、V及びNb:V+Nb/2で0.2~2.0%、N:500ppm未満、残部Fe及び不可避的不純物からなり、式SのS値が35以上、式IのI値が150以上」であって、「式S:S=2.0Cr+14.0Mo+3.3W+6.7(V+Nb/2)」、「式I:I=70Si-Cr+63Mo-153V+23W」、「但し、式の元素記号には当該成分の%値を代入する。」のに対して、甲3発明では、「重量%で、C:0.9%、Si:0.39%、Mn:0.286%、Cr:3.97%、Mo:3.83%、W:4.17%、V:1.43%、Co:0.445%、残部がFeであるAISI M2工具鋼」である点。
・相違点3-2
本件発明1では、「中周部の母材硬さが58HRC以上で」あるのに対して、甲3発明では、「中周部の母材硬さ」が不明である点。
・相違点3-3
窒化層深さが、本件発明1では、マイクロビッカース硬度計を用いて、窒化層の最表面から深さ30μmの位置を始点とし、深さ200μmまで10μmピッチで測定した窒化層内の硬さ分布において、内部ビッカース硬さ(窒化層の最表面から深さ1100μm位置を始点とし、深さ2000μmまで100μmピッチで測定した10点の硬さの平均値)よりも25ポイント以上高い値を示す位置の中で最も深い位置を「窒化層深さ」としたとき、「70μm以上100μm未満」であるのに対して、甲3発明では、その定義は明らかではないものの、「化合物層の厚さが17.63μmであり、拡散層の厚さが82.4μmであ」り、これらの合計として100.03μmである点。
・相違点3-4
本件発明1では、「窒化層の最表面から30μm位置と60μm位置とでの硬度変化が75HV以内である」のに対して、甲3発明では、上記のような「硬度変化」が「75HV以内」かどうか不明である点。
・相違点3-5
本件発明1では、「鋼が焼入焼戻しされた状態」であるのに対して、甲3発明では、試験片を構成する「AISI M2工具鋼」が「焼入焼戻しされた状態」であるのかどうか不明である点。
・相違点3-6
窒化層の最表面から30μmの深さでの硬さが、本件発明1では、「800HV以上」であるのに対して、甲3発明では、「800HV以上」ではない点。
イ 相違点3-1の検討
(ア)まず、相違点3-1が実質的な相違点であるか否かについて検討する。
相違点3-1は、鋼の化学成分に関するものであるところ、相違点3-1のうち、まず、Nの含有の有無と含有量について検討し、次に、式IのI値について検討する。
a 甲3発明のAISI M2工具鋼は、その化学組成が、「重量%で、C:0.9%、Si:0.39%、Mn:0.286%、Cr:3.97%、Mo:3.83%、W:4.17%、V:1.43%、Co:0.445%、残部がFeである」ところ、Nの含有について特定するものではない。
この点、技術常識に照らして、AISI M2工具鋼がASTM M2鋼と同等のものであることを踏まえると、上記1(2)イ(ア)aで述べたのと同様の理由により、甲3発明のAISI M2工具鋼において、Nの含有量が実際に「N:500ppm未満」であるかどうかは、不明である。
以上によれば、相違点3-1のうち、少なくとも、Nの含有量については、実質的な相違点である。
b 甲3発明のAISI M2工具鋼は、その化学組成が上記aのとおりのものであるところ、I式のI値を計算すると、141.74(=70×0.39-3.97+63×3.83-153×1.43+23×4.17)であり、本件発明1における「150以上」を満たすものではない。
以上によれば、相違点3-1のうち、少なくとも、I式のI値については、実質的な相違点である。
(イ)次に、相違点3-1の容易想到性について検討する。
甲3のほか、甲1、2にも、AISI M2工具鋼におけるN含有量については何ら記載されていないから、甲3発明のAISI M2工具鋼において、「N:500ppm未満」とすることが動機付けられるとはいえない。
また、甲3のほか、甲1、2にも、I式のI値については何ら記載されていないから、甲3発明のAISI M2工具鋼において、I式のI値を「150以上」とすることが動機付けられるとはいえない。
この点、申立人は、甲3発明において、Mo含有量を、AISI M2工具鋼(ASTM M2鋼)の規格内で、甲1や甲2のように増やすと、I式のI値が「150以上」を満たすと主張するが、甲3発明において、I式のI値を「150以上」を満たすように、Mo含有量のみをあえて増やす動機付けがあるとはいえない。
そして、本件発明1は、上記1(2)イ(イ)で述べたとおり、請求項1に記載される発明特定事項を備えることによって、冷間工具鋼の表層に形成された窒化層を介して形成されたPVD硬質皮膜の剥離が抑制されるという、当業者が予測することができない格別顕著な効果を奏するものである。
以上によれば、甲3発明において、N含有量及びI式のI値に関する特定を含む相違点3-1に係る発明特定事項を備えたものとすることは、当業者が容易に想到することができたとはいえない。
ウ 相違点3-2の検討
(ア)まず、相違点3-2が実質的な相違点であるか否かについて検討する。
a 本件発明1における「中周部の母材硬さが58HRC以上」における「中周部の母材硬さ」については、本件明細書の記載(【0027】、【0031】)によれば、焼入焼戻しされた状態の母材の硬さであって、例えば、角材からなるサンプルの場合、一般に合金の化学成分や組織が不均質となることが知られている中心部や表層部を避けた、角材断面の中間的な周回部分の硬さを意味するものと認められる。
b これに対して、甲3には、上記aのような「中周部の母材硬さ」については何ら記載されていないから、甲3発明において、「中周部の母材硬さ」が実際に「58HRC以上」であるかどうかは不明である。
c 以上によれば、相違点3-2は実質的な相違点である。
(イ)次に、相違点3-2の容易想到性について検討する。
甲3のほか、甲2にも、上記(ア)aのような「中周部の母材硬さ」については何ら記載されていないから、甲3発明において、「中周部の母材硬さ」を「58HRC以上」とすることが動機付けられるとはいえない。
甲1には、甲1発明として認定したとおり、ASTM M2鋼の焼入れ焼戻しされた棒から機械加工されることで製造された試験片の平均硬度が64HRCであることが記載されているものの、単にそのような記載が存在するだけであり、甲3発明において、甲1に記載された上記事項を適用する動機付けがあるとはいえない。
そして、本件発明1は、上記1(2)イ(イ)で述べたとおり、請求項1に記載される発明特定事項を備えることによって、冷間工具鋼の表層に形成された窒化層を介して形成されたPVD硬質皮膜の剥離が抑制されるという、当業者が予測することができない格別顕著な効果を奏するものである。
以上によれば、甲3発明において、「中周部の母材硬さ」を「58HRC以上」とすることは、当業者が容易に想到することができたとはいえない。
エ 小括
上記イ、ウのとおりであるから、相違点3-3~3-6について検討するまでもなく、本件発明1は、甲3に記載された発明及び甲1、2に記載された事項に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない。
(3)本件発明2、3について
本件発明2、3は、本件発明1を引用するものであり、本件発明1の発明特定事項を全て備えるものであるが、上記(2)で述べたとおり、本件発明1は、甲3に記載された発明及び甲1、2に記載された事項に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない以上、本件発明2、3についても同様に、甲3に記載された発明及び甲1、2に記載された事項に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない。
また、甲5には、甲3発明において、相違点3-1に係る発明特定事項や相違点3-2に係る発明特定事項を備えさせることを動機付ける記載は見当たらない。
以上によれば、本件発明2、3は、甲3に記載された発明及び甲1、2、5に記載された事項に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない。
(4)まとめ
以上のとおり、本件発明1は、甲3に記載された発明及び甲1、2に記載された事項に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない。
また、本件発明2、3は、甲3に記載された発明及び甲1、2、5に記載された事項に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない。
したがって、申立理由4-3(進歩性)によっては、本件特許の請求項1~3に係る特許を取り消すことはできない。
4 申立理由1(明確性要件)
(1)請求項1~3について
請求項1~3の記載は、前記第2のとおりのものであるところ、請求項1~3の記載に不明確なところはなく、いずれもその意味は明確であるから、本件発明1~3は、いずれも明確である。
(2)申立人の主張について
ア 申立人は、請求項1の「窒化層の最表面から30μmの深さでの硬さが800HV以上」、「窒化層の最表面から30μm位置と60μm位置とでの硬度変化が75HV以内である」との記載について、以下の(ア)~(ウ)の点、すなわち、
(ア)本件明細書には、「硬さ」、「硬度」の測定方法として、単に「マイクロビッカース硬度計にて切断面の被膜直下、つまり窒化層再表面から深さ30μmの位置を始点とし、深さ200μmまで10μmピッチで窒化層内の硬さ分布を測定した。」(【0036】)と記載されているに留まり、どのような試験荷重(試験力)を用いたのか記載されていない、
(イ)ビッカース硬さの測定では、くぼみの中心から試料(試験片)の縁までの距離は、くぼみの平均対角線長さdに対して、2.5d以上の条件とする(甲4)必要があるところ、試験荷重(試験力)が0.981N(HV0.1)と大きい場合は、800HVでは、くぼみの平均対角線長さdが15.2μmと大きくなって、くぼみの中心から試料(試験片)の縁までの必要な距離も38.0μmと大きくなるにもかかわらず、本件発明1では、窒化層の最表面から30μmの深さ(位置)で硬さを測定することから、硬さを正確に測定することができない、
(ウ)ビッカース硬さの測定及び算出の原理(甲4)を踏まえると、試験荷重(試験力)が0.098N(HV0.01)と小さい場合は、800HVでは、くぼみの平均対角線長さdが4.82μmと小さくなって、測定結果のばらつきが大きくなり、測定誤差によって数値範囲の内か外かの判断が大きく左右される、
との点を指摘して、請求項1の上記記載は不明瞭であり、本件発明1~3は不明確であると主張する(申立書28~30頁)。
しかしながら、上記(ア)、(イ)の点については、本件明細書にどのような試験荷重(試験力)を用いたのか記載されていないとしても、申立人も自認するとおり、窒化層の最表面から30μmの深さ(位置)で硬さを測定する本件発明1においては、くぼみの中心から試料(試験片)の縁(すなわち、窒化層の最表面)までの必要な距離が確保できるような試験荷重(試験力)で測定していると解するのが自然である。そして、そのような試験荷重(試験力)で測定しているのであれば、硬さを正確に測定することができないとはいえない。
また、上記(ウ)の点についても、ビッカース硬さの測定及び算出の原理(甲4)から、試験荷重(試験力)が小さすぎる場合、一定程度の測定結果のばらつきや測定誤差が生じる可能性があるというのであれば、その点を考慮して、小さすぎない試験荷重(試験力)を採用すればよいことも、明らかである。そして、そのような試験荷重(試験力)で測定すれば、数値範囲の内か外かの判断が大きく左右されるとはいえない。
そして、一般に、ビッカース硬さを含む各種の特性の測定においては、一定程度の測定結果のばらつきや測定誤差が生じることが通常であることを踏まえると、本件発明1において、このような測定結果のばらつきや測定誤差が生じる可能性があるからといって、そのことのみで直ちに本件発明1が不明確であるとはいうことはできない。
よって、申立人の主張は採用できない。
イ 申立人は、請求項1の「中周部」との記載について、どこのどのような部分を指すのか不明瞭であるから、本件発明1~3は不明確であると主張する(申立書30頁)。
しかしながら、本件発明1における「中周部の母材硬さが58HRC以上」における「中周部の母材硬さ」については、本件明細書の記載(【0027】、【0031】)によれば、焼入焼戻しされた状態の母材の硬さであって、例えば、角材からなるサンプルの場合、一般に合金の化学成分や組織が不均質となることが知られている中心部や表層部を避けた、角材断面の中間的な周回部分の硬さを意味するものと認められる。
すなわち、請求項1の「中周部」は、本件明細書の記載を参酌すれば、例えば、角材からなるサンプルの場合、一般に合金の化学成分や組織が不均質となることが知られている中心部や表層部を避けた、角材断面の中間的な周回部分を意味すると理解できる。
よって、申立人の主張は採用できない。
(3)まとめ
したがって、申立理由1(明確性要件)によっては、本件特許の請求項1~3に係る特許を取り消すことはできない。
5 申立理由2(実施可能要件)
(1)申立人の主張について
申立人は、請求項1の「窒化層の最表面から30μmの深さでの硬さが800HV以上」、「窒化層の最表面から30μm位置と60μm位置とでの硬度変化が75HV以内である」との記載について、上記4(2)ア(ア)~(ウ)と同様に指摘して、本件明細書の発明の詳細な説明は、本件発明1~3について、実施可能要件に適合するものではないと主張する。
しかしながら、上記4(2)アで述べたのと同様の理由により、請求項1の上記記載は明確であって、その内容を理解できるものであるから、本件明細書の発明の詳細な説明は、本件発明1~3について、実施可能要件に適合するものである。
よって、申立人の主張は採用できない。
(2)まとめ
したがって、申立理由2(実施可能要件)によっては、本件特許の請求項1~3に係る特許を取り消すことはできない。
第5 むすび
以上のとおり、特許異議申立書に記載した特許異議の申立ての理由によっては、本件特許の請求項1~3に係る特許を取り消すことはできない。
また、他に本件特許の請求項1~3に係る特許を取り消すべき理由を発見しない。
よって、結論のとおり決定する。
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2026-700181