商標無効審判
2019-890032
オリベリュー
- 審判番号
- 2019-890032
- 法域
- 商標
- 審判種別
- 無効審判(無効の審決)
- 出願番号
- 商願2016-079834
- 登録番号
- 5986804
- 請求日
- 2019年05月24日
- 審決日
- 2022年11月24日
- 公報発行日
- 2023年03月31日
- 結論
- 請求成立(無効)
- 当事者
- 【請求人】長門 宏道
- 【請求人代理人】西尾 雄一郎
- 【被請求人】一般財団法人 古田織部美術館
- 【被請求人代理人】弁理士法人京都国際特許事務所
- 審判長/審判官
- 審判長 佐藤 淳
- 審判官 佐藤 松江
- 審判官 板谷 玲子
- 分類
- T111 .22 -ZC (W41) / T111 .25 -ZC (W41)
- 根拠条文(結論部分から自動抽出・参考)
- 商標法4条1項10号商標法46条1項
- 条文(本文から自動抽出・参考)
- 商標法第4条第1項第10号、商標法第4条第1項第7号、商標法第4条第1項、商標法第46条第2項
- データ出所
- 審決公報(XML)
事件の表示
上記当事者間の登録第5986804号商標の商標登録無効審判事件についてされた令和2年3月19日付け審決に対し、知的財産高等裁判所において、審決の一部取消しの判決(令和2年(行ケ)第10055号、令和2年11月4日判決言渡)があったので、審決が取り消された部分の指定役務についてさらに審理のうえ、次のとおり審決する。
結論
結 論
登録第5986804号の指定役務中、第41類「セミナーの企画・運営又は開催,電子出版物の提供,図書及び記録の供覧,図書の貸与,書籍の制作,興行の企画・運営又は開催(映画・演芸・演劇・音楽の演奏の興行及びスポーツ・競馬・競輪・競艇・小型自動車競走の興行に関するものを除く。)」についての登録を無効とする。
審判費用は、その2分の1を請求人の負担とし、2分の1を被請求人の負担とする。
理由
理 由
第1 本件商標
本件登録第5986804号商標(以下「本件商標」という。)は、「織部流」の文字を横書きしてなり、平成28年7月26日に登録出願、第41類「茶道の教授,セミナーの企画・運営又は開催,電子出版物の提供,図書及び記録の供覧,図書の貸与,美術品の展示,書籍の制作,茶会の企画・運営又は開催,興行の企画・運営又は開催(映画・演芸・演劇・音楽の演奏の興行及びスポーツ・競馬・競輪・競艇・小型自動車競走の興行に関するものを除く。)」を指定役務として、同29年9月21日に登録査定、同年10月6日に設定登録されたものである。
そして,本件審判の請求により、本件商標の指定役務のうち、第41類「茶道の教授,茶会の企画・運営又は開催」についての登録を無効とする旨の審決が令和2年4月27日に確定し、その確定審決の登録が同年11月19日にされたものである。
また,本件審判の請求について,本件商標の指定役務のうち,第41類「美術品の展示」についての請求は成り立たない旨の審決が令和4年1月28日に確定し,その確定審決の登録が同年3月7日にされたものである。
第2 手続の経緯
本件商標については、令和元年5月24日に「本件商標の登録を無効とする。」旨の無効審判の請求があったところ、当該請求については、同2年3月19日付けで「本件商標の指定役務中、第41類「茶道の教授,茶会の企画・運営又は開催」についての登録を無効とする。その余の指定役務についての審判請求は成り立たない。」旨の審決(以下「第一審決」という。)がされた。
請求人は、第一審決のうち、本件商標の指定役務のうち、第41類「セミナーの企画・運営又は開催,電子出版物の提供,図書及び記録の供覧,図書の貸与,美術品の展示,書籍の制作,興行の企画・運営又は開催(映画・演芸・演劇・音楽の演奏の興行及びスポーツ・競馬・競輪・競艇・小型自動車競走の興行に関するものを除く。)」に係る部分の取消しを求めて知的財産高等裁判所に出訴し、これが令和2年(行ケ)第10055号事件として審理された結果、令和2年11月4日に「1 特許庁が無効2019-890032号事件について令和2年3月19日にした審決のうち、登録第5640687号の指定役務「セミナーの企画・運営又は開催,電子出版物の提供,図書及び記録の供覧,図書の貸与,書籍の制作,興行の企画・運営又は開催(映画・演芸・演劇・音楽の演奏の興行及びスポーツ・競馬・競輪・競艇・小型自動車競走の興行に関するものを除く。)」の指定役務についての審判請求は成り立たないとする部分を取り消す。2 原告のその余の請求を棄却する。」との判決が言い渡された。
そして、上記判決が確定した結果、第一審決で審判請求は成り立たないとされた本件商標の指定役務のうち、第41類「セミナーの企画・運営又は開催,電子出版物の提供,図書及び記録の供覧,図書の貸与,書籍の制作,興行の企画・運営又は開催(映画・演芸・演劇・音楽の演奏の興行及びスポーツ・競馬・競輪・競艇・小型自動車競走の興行に関するものを除く。)」に係る部分については第一審決が取り消され、それ以外の指定役務に係る部分については第一審決が確定した。
第3 請求人の主張
請求人は、本件商標の登録を無効とする、との審決を求め、その理由を要旨次のように述べ、証拠方法として甲第1号証ないし甲第43号証(枝番号を含む。)を提出した。
1 無効事由
本件商標は、商標法第4条第1項第7号及び同項第10号に該当し、同法第46条第1項の規定により無効である。
2 本件商標を無効とすべき理由
(1)引用商標
引用商標は「織部流」の漢字で表記され「おりべりゅう」と呼称されるもので、未登録商標ではあるものの、請求人が行う茶道の教授、茶会の企画・運営又は開催、並びに請求人が同商標の使用を許諾した者らが行う茶道の教授、茶会の企画・運営又は開催といった役務に使用されている。
(2)請求人適格について
被請求人は、請求人(長門宏道)が本件商標の無効審判につき利害関係人でないことから却下されるべきと主張する。
被請求人の主張の要旨は、臨済宗興聖寺派本山(以下「興聖寺」という場合がある。)の住職が請求人から望月氏に交代したことをもって、請求人が興聖寺を代表する者でなく(乙1)、本件商標につき利害関係がないとのことだが、以下のとおり誤りである。
まず、被請求人は答弁書において、請求人が「審判請求人である長門宏道が臨済宗興聖寺派本山興聖寺の住職である」と述べている旨主張しているが、本審判請求書には正確には「臨済宗興聖寺派本山の住職」と記載されており、「臨済宗興聖寺派本山」の後の「興聖寺」は被請求人による勝手な付加である。
確かに、興聖寺の住職は、平成30年7月14日に請求人から望月氏に変更となっているが(したがって、2017年(平成29年)末に住職が変更となっているとする、被請求人の代表理事である宮下玄覇氏(以下「宮下氏」という場合がある。)の記述は不正確である。)、宗教法人「臨済宗興聖寺派」の代表社員(審決注:代表役員の誤記と認められる。)は、上記住職の変更前も変更後も請求人のままで変更はない(甲23)。したがって、請求人は今でも興聖寺を代表する者である。
また、請求人は、興聖寺の住職が請求人から望月氏に変更になる前は、上記のとおり臨済宗興聖寺派の代表役員と「興聖寺派本山管長」という興聖寺派末寺の八ケ寺をまとめる役職と興聖寺の「住職」という役職を兼務していた。それが、上記のとおり平成30年7月14日に興聖寺の住職の役職のみを望月氏に譲ったのである。すなわち、本審判請求書の「臨済宗興聖寺派本山の住職」という記載は、正確には「臨済宗興聖寺派の代表役員」ということになる。
そして、織部流の家元は、近年は興聖寺の住職が就いているが、これも正確にいうと「臨済宗興聖寺派の代表役員」が家元に就いている。ただし、織部流の家元たる地位と臨済宗興聖寺派の代表役員の地位は、連動するものではない。織部流の家元は、指名制であるから現家元である請求人の考え次第では、臨済宗興聖寺派の代表役員や興聖寺の住職以外の者がなる可能性もある。
以上から、興聖寺の住職が請求人から望月氏に交代となっても、織部流の家元の地位には何らの変更も生じない。かかる根本的な問題を被請求人は完全に誤解している。
よって、興聖寺の「住職」の交代があったとしても、織部流の家元は依然として請求人であることに変わりはなく、請求人が本件商標につき利害関係人であることは明らかである。
(3)商標法第4条第1項第10号について
ア 「織部流」とは
「織部流」とは、戦国武将の古田織部(1544年~1615年)が、創案した武家茶道の流祖として天正7年(1579年)ころ始めた茶道の呼称である。
古田織部は、茶道史上の重要人物として世に知られている人物であり、茶聖千利休に露地草庵数寄屋の茶の湯を学び、千利休の没後は豊臣秀吉の茶頭(さどう)を勤めた。大野道可に古儀式茶法を学び、両氏の茶法を基に武家茶道の基礎を作った。
晩年、古田織部は、大阪夏の陣で徳川家に敵対したということで切腹を命じられ、古田家は断絶の処分を受けたが、わずかに孫だけは豊後竹田岡藩の家老職として存続を許され、その後は織部流の茶道は古田家に代々伝承されていった。
そして、明治の初期、織部流14代古田宗関は、それまで古田家に伝わる茶道が「古織流」と呼ばれていたものを現在の「織部流」と改名し、武家茶道の一流派を立てた。
現在は、興聖寺の住職である請求人が、織部17代(家元)として「織部流」の茶道を伝承している(甲1、甲2)。
イ 請求人が織部流の家元であること
(ア)請求人が織部流の家元を承継していること
請求人は、昭和57年から興聖寺の住職の地位にあり、同時期から先代の住職であった浅野牧僊から織部流17代を引継ぎ、織部流18代の家元となった(甲2、甲3の1~3)。なお、請求人の戸籍上の氏名は、「長門宏道」であるが住職、家元としては「長門玄晃」又は「長門槐安」の名を使っている。
(イ)古織会としての活動
昭和48年には織部流の門下生により古織会という任意団体が結成された(当時の家元は織部17代浅野牧僊)。
古織会は、織部流の門弟達で織部流茶道の作法の研究及び研さんを行い、織部流の会得及び継承を目的として活動している。古織会の会員は、習得度によって、初伝、中伝、奥伝、師範、茶名、教授門証の各段階に区分され、師範、茶名、教授門証の会員については、家元から織部流の名前を使って、織部流茶道の教授をしてよいとの許諾を受けることになっている(甲4)。具体的には、古織会では、織部流の茶道を全て会得した者に対しては、請求人から「織部流」の師範を名乗ってもよいという免状(甲5の1~3)や木製の看板(甲6の1~5)を与えて掲げることを許している。
古田織部の命日や年始の初釜のときなどは、全国の古織会の門弟が興聖寺に集まって茶会を開いており、興聖寺が織部流の聖地となっている。
古織会は、全国に支部があり、京都の興聖寺に本部を置き、東京、神奈川、九州に支部を置いて、織部流の茶道の普及、茶会の開催などを行っている。
ウ 被請求人及び被請求人の代表理事である宮下氏が織部流の開祖とは無関係であり、織部流の承継者ではないこと
(ア)被請求人の本件出願登録時の主張が事実に反すること
この点、宮下氏は、本件商標の登録出願に際して、平成29年4月3日付け意見書の中で、「本件出願人である宮下玄覇は、明治時代の織部流茶人・岡崎淵冲が伝えた織部流茶道の唯一の承継者であり」「宮下玄覇は、福岡藩より豊後古田家に伝わった古い茶法を根本に古文献(原典)に基づいて本来の古田織部の茶法を行うものとして織部流茶法を復興したものであり、その点より「織部流」という名称そのものを使用する資格を有するものと自負しています。」「本件出願人・宮下玄覇は個人として、あるいは古田織部美術館として、織部流茶道に関して様々な活動を行っています。最近では、東京・名古屋・京都における「没後400年古田織部展」の開催(中略)、日本各地からの依頼による古田織部及び茶道の講演(中略)を行ってきました。」と述べ、あたかも宮下氏が「織部流」の継承者であるかのような主張をしている。
しかしながら、以下に述べるとおり、上記意見書の内容は全くの事実誤認であり、理由がない。
a 宮下氏が岡崎淵冲の伝えた織部流茶道の唯一の承継者ではないこと
まず、岡崎淵冲は織部流14世の古田宗関の弟子の一人であり、現代の織部流のバイブルともいえる「各伝比較點茶活法」を刊行した者ではある。そして、岡崎淵冲は明治時代の人間であり、既に1905年(明治38年)に死亡していることから、宮下氏とは何らの接点を持つこともできず、同人が岡崎淵冲から織部流茶道を承継することは不可能である。宮下氏は織部流の単なる愛好家にすぎず、到底「岡崎淵冲が伝えた織部流茶道の唯一の承継者」とは言えない。また、岡崎淵冲の伝授は直弟子である小林淵穆、佐藤淵静に伝承され、中田淵邦、田中宗雲、飯室淵伴(宗仙)と続き、織部流の「奥伝茶法(秘伝)」を伝承されており、宮下氏が岡崎淵冲の教えを承継しているということはあり得ない(甲1)。
そもそも、宮下氏は、平成7年頃から織部流の師範である熊谷宗勢の下で、織部流の茶道を学んでいたことがあり、単なる一徒弟だったにすぎない(甲7)。しかも、1、2年で織部流の指導をやめている人物である。
その後、平成19年4月に請求人のもとに、宮下氏から電話があり、「織部流茶道を学びたい」との依頼があったので、織部流の宗匠である飯室宗仙が平成23年10月までの間指導したが、飯室宗仙は、宮下氏に一度も許状を出していない。
b 古文献に基づいて宮下氏が織部流茶道を復興したものではないこと
さらに、宮下氏が主張している古文献というのは、具体的にどのような文献を指すものなのか不明であるが、おそらく同人が新たに発見した古文献というわけでもないものと思われる。
よって、宮下氏が古文献に基づいて織部流茶道を復興したなどという事実は存在しない。
c 宮下氏が主催する活動はいずれも織部流茶道とは関係がないこと
被請求人が開催したという「没後四百年 古田織部展」(甲8の1)は、織部好みの茶道具の展覧会であり、茶道として織部流とは関係がない。
また、講演についても、その内容は古田織部の人物像や歴史に関する講演であり(甲8の2・3)、織部流の茶道に関する講演ではない。
(イ)被請求人が織部流茶道としての活動を行っておらず、まともな茶道関係者で宮下氏が織部流の承継者と認めているものは誰一人いないこと
宮下氏は、もともとは茶道具や古美術品を扱う古物商であり、その延長で古田織部美術館の館長として焼き物等の収集をしている。古田織部美術館は織部焼展示の施設であり、織部流茶道とは何らの関係もない。
この点、古田織部流茶湯研究会という団体が、織部流茶道の真似事をしているようであるが、宮下氏が茶道の教授を行っているわけではない。
また、古田織部流茶湯研究会に関するインターネット上の説明をみると、なぜか流派については「古田織部流裏千家」となっており(甲9の2・3)、筆頭師範は「高橋宗果」となっている(甲9の1)。裏千家とは茶道の代表的な流派であるが、古田織部流と名乗っておきながら裏千家の人間を講師としている(甲9の4)。
さらに、被請求人のホームページに2009年(平成21年)まで岐阜県が主催していた「織部賞」を、それ以降古田織部美術館が全く別物の「織部賞」を主催しているとの記載がある。「織部賞」は、織部流茶道とは全く関係がなく、「古田織部の名を広めるような功績のあった人、織部に関する特筆すべき研究をした人、織部好みの茶器づくりに尽力した人などを顕彰するために、古田織部美術館が公募している賞」、すなわち茶器に関する賞に過ぎず、被請求人が茶道としての織部流の活動をしているわけではない。
(ウ)宮下氏も請求人が織部流の家元と認めていたこと
茶湯手帳(甲3の1・2)は、茶道の行事や全国の茶道の各流派の家元の連絡先などが記載された本であり、啓草社という会社が昭和45年から平成18年まで発行していたものであるが、啓草社が平成18年に廃業したため、それ以降は発行されなくなっていた。そうしたところ、宮下氏が発行者となって、啓草社の茶湯手帳と全く同じような本を平成20年から発行し始め(甲3の3)、現在も平成31年度版まで発行されている。
平成20年版の茶湯手帳には請求人が織部流の家元との記載がなされており、宮下氏自身、請求人が織部流の家元と認めている(甲3の3)。
この点、平成20年版の茶湯手帳には、「織部流」と「織部流(古織会)」とあたかも二つの流派があるかの記載がなされているが、「織部流」の16代とされている「田中宗雲」は、「織部流(古織会)」の17代「浅野牧僊」のときに、既に浅野牧僊のもと興聖寺で一緒に織部流茶道を行っており、二つの織部流は同じものを指している。
ところが、宮下氏が発行している平成30年度の茶湯手帳には、織部流についての記載は、織部流「18代槐安」の記載は削除され、「15代目田中宗雲」の記載しかない(甲3の4)。請求人が織部流の家元であることを隠そう、又は事実を歪曲しようとしていることがうかがえる。
エ 請求人の商号が周知されていること(主に過去の活動実績から)
(ア)京都茶道団体懇話会における活動
京都茶道団体懇話会とは、昭和46年に、表千家、裏千家、武者小路千家といった三千家の家元、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹京都大学名誉教授、人間国宝の歌舞伎俳優の中村鴈次郎などを名誉顧問として発足した茶道の各流派が集まる団体であり、団体創立時から請求人の師範である田中宗雲も理事役員として名を連ねている(甲12の1)。
京都茶道団体懇話会では、毎年、様々な茶道の流派が集まって合同でお茶会を開催しているが(甲12の2~7)、織部流の師範も毎回出席しており、様々な流派から請求人が織部流の家元であると認知されている。なお、現在は、同会の会員数150名余、織部流の師範である飯室宗仙が同会の会長を務めている。
当然、宮下氏が京都茶道団体懇話会に織部流の代表として呼ばれることなど万が一にもあり得ないことである。
(イ)茶道文化会における活動
茶道文化会とは昭和22年4月に三千家やその他の茶道各流派の宗匠が集まって月1回、茶会を行う会であるが、この会にも請求人の師範は織部流を代表して創立20周年記念時から参加している。なお、同会は財団法人京都市芸術文化協会、及び財団法人京都市文化観光資源保護財団に加盟しており公的にも認められた団体であり、会員数は200人を超える(甲13)。
(ウ)NHKの番組の監修
NHKの「歴史秘話ヒストリア ひょうきんに命がけ 戦国武将古田織部美の革命」の際、請求人の師範である飯室宗仙が織部流茶道の指導監修をしている(甲14)。また「堂々日本史 古田織部 戦国の世を茶の湯で生き抜け」で古田織部を特集した際にも織部流の資料提供を行っている。なお、同番組では薮内流の家元も上記飯室宗仙と並んでエンドロールに記載がされている(甲15)。
このように、NHKも請求人が古田織部を開祖とする織部流の継承者であると認識しているのである。
(エ)その他の活動実績
東京支部の師範らは、全国各地でお茶会を開催しており、仙台で小堀遠州流と石州清水流と合同でお茶会を開催しているほか(甲16の3)、京王百貨店新宿店において年に数回、添釜を行っている(甲10、甲16の1・2)。
神奈川支部の師範らは、神奈川県秦野市の秦野茶道協会に師範が所属して、三渓園や早雲寺になどにおいて織部流茶道の普及活動をしている(甲17の1~16、甲18の1~9)。
古田織部の出生地である岐阜県でも請求人の師範らは、様々なお茶会を主催している(甲19の1~8)。なお、平成25年11月9日に開催された茶会の茶室は「国宝茶室如庵」で行われている。
そのほか、請求人の師範らは、平成15年にはニューヨーク、平成16年にはドイツのミュンヘンで大規模なお茶会を開催している(いずれも岐阜県が主催、甲20の1~3)。
(オ)小括
茶道会で活動人数の多数を占める裏千家、表千家といった茶道団体(すなわち、茶道会における需要者の大多数)から「織部流」と言えば請求人が家元であることは長い間認知されているのである。
よって、本件商標は、「茶道の教授,書籍の制作,茶会の企画・運営又は開催」のいずれかについて、「他人の業務に係る商品若しくは役務を表示するものとして需要者の間に広く認知されている商標」といえる。
オ まとめ
以上から、本件商標は、商標法第4条第1項第10項に該当し、同法第46条第1項の規定により無効である。
(4)商標法第4条第1項第7号について
ア 本件商標が、「古田織部を祖とする茶道の流派」を意味するものとして広く認識されていること
上記(3)アのとおり、「織部流」は「古田織部を祖とする茶道の流派」を意味するものであることは、その成立の経緯及び名称から明らかであり、上記(3)エでも述べたとおり、織部流以外の茶道の他流派においても同様の認識であり、かつ請求人が家元であると認識されている。
そのような、歴史と伝統ある「織部流」の名称の使用を、古田家や古田織部と何の関係もない被請求人が、独占できる理由はない。
イ 被請求人が請求人の正当な活動を阻害していること
請求人の師範である熊谷宗和が、平成30年10月26日、京王百貨店新宿店で織部流のお茶会を開催しようとした際、同百貨店に被請求人からと思われる文書が届き(甲21)、同文書には「織部流茶の湯研究会(本部・京都市北区)しか、「織部流」は名乗れなくなりました。」との記載があり、「織部流」の名称の使用することを止める旨の記載があった。
このように、被請求人は、請求人や同人から「織部流」の名称の使用を許諾された師範代の正当な活動を阻害している。
ウ 本件商標は、剽窃的な商標登録であること
宮下氏は、請求人がはるか以前から「織部流」の名称を使って家元として茶道の教授や茶会の企画・運営又は開催などを行っていることを十分に知りつくした上で、請求人から紹介を受け、織部流の宗匠(家元の代理)である飯室宗仙氏や熊谷宗勢氏らから織部流茶道を学んでいた経歴を持つ者であり、到底「織部流茶法を復興した者」とはいえない。
また、宮下氏が織部流を教わったという久留米在住の島靖彦氏の師匠である田中宗雲氏は、20年間興聖寺にて織部流の教授に携わり(そのうち昭和49年~59年の10年間は興聖寺に居住)、織部流第17代家元の代理として宗匠の地位にあったものである。
宮下氏も自己が出版する平成30年度の茶湯手帳にも田中宗雲が織部流の家元であると記載して(正しくは宗匠であるが)、同氏が織部流の茶法を承継していることは認めていると思われるが、その田中宗雲から同氏が20年間興聖寺にいる間、織部流の教授を受けたのが、現在の請求人を家元とする織部流の宗匠である飯室宗仙であること紛れもない事実であり、宮下氏は当然にそのことは認識していた(であるからこそ、宮下氏は飯室宗仙の元に教えを請いに来たのである。)。
したがって、本件商標は、「織部流」の名称の使用権を剽窃しているといわざるを得ない。
エ まとめ
以上から、本件商標は、商標法第4条第1項第7号に該当し、同法第46条第1項の規定により無効である。
第4 被請求人の答弁
被請求人は、本件審判請求は成り立たない、審判費用は請求人の負担とする、との審決を求め、その理由を要旨次のように述べ、証拠方法として乙第1号証ないし乙第4号証を提出した。
1 請求人適格
請求人は、請求人の長門宏道が興聖寺の住職である、と述べているが、陳述書1(乙1)にも記載したとおり、同寺の住職は平成29年(2017年)末に望月宏済に交代しており、請求人の長門宏道はもはや興聖寺を代表する者ではない。
また、「興聖寺の住職が請求人から望月氏に交代となっても、織部流の家元の地位には何らの変更も生じない。」と述べているが、その証拠は示されていない。どの仏教宗派・寺院においても、日々の具体的な宗教活動を行うのは寺であって、宗教法人ではない。
寺において行われる茶会等についても同様であり、その主体は宗教法人ではなく寺であるのが普通である。
実際、甲第22号証の1(平成25年度)ないし甲第22号証の4(平成28年度)においてはいずれもタイトルが「興聖寺 織部流古織会 年中行事 日程予定表」となっており(平成29年度以降は記載なし)、「興聖寺」が茶会等の主体であることを示している。
すなわち、茶道の教授等の役務を行うのは興聖寺という寺であり、その寺を代表する住職ではない人間が本件商標の無効を請求する資格はない。
したがって、本件審判の請求は、商標法第46条第2項に反する違法なものであり、直ちに却下されるべきである。
2 商標法第4条第1項第10号該当性
請求人が提出した証拠においては、「織部流」と自称する団体が単に存在したことが記載されているか、あるいは、裏千家等の他の有名茶道諸団体と一緒に活動したことが記載されているのみである。単に存在したことによってはもちろん、他の有名団体と一緒に活動したことをもって、本件商標の指定役務のいずれかについて「他人の業務に係る商品若しくは役務を表示するものとして需要者の間に広く認識されている商標」とすることは到底できない。
仮に「興聖寺 織部流古織会 年中行事日程予定表」(甲22の1~4)、「織部流古織会 年間行事予定日程表」(甲22の5~7)により請求人の茶会、茶道の教授等が広く知られていたことが証明されたとしても、それは「織部流古織会」という名称により広く知られていたことになる。
したがって、本件商標が商標法第4条第1項第10号に該当するとの請求には何ら根拠がない。
3 商標法第4条第1項第7号該当性
請求人は、被請求人及び宮下氏があたかも「織部流」が自己が創設した茶道の流派であるかのように独占しようとしている、と述べている。
しかし、被請求人及び宮下氏は、本来の古田織部の茶法を行うものとして織部流茶法を復興したものであり、その点より「織部流」という名称を使用する資格を有する。請求人より「織部流」の名称の使用権を剽窃するもの、といわれる筋合いは全くない。
したがって、被請求人が本件登録を得ることは、何ら公正な競業秩序を害するおそれのあるものではなく、また、社会公共の利益に反するものでもないことから、本件商標が第4条第1項第7号に該当するとの請求にも全く根拠がない。
第5 当審の判断
1 請求人適格について
本件審判の請求に関し、当事者間において、利害関係の有無につき争いがあることから、まず、この点について判断する。
両当事者から提出された証拠によれば、請求人は、「臨済宗興聖寺派」の代表役員であり(甲23)、また、「織部流」の家元であると認められる(甲2、甲3の1~3、甲26)ところ、請求人は、本件商標の登録の存在によって、直接的な影響を受けることもあり得るとみられ、本件審判の請求について、何らの利害関係も有しないとはいい難い。
そうすると、請求人は、本件審判を請求することについて、利益を有するものと解するのが相当である。
したがって、本件審判の請求は、その請求を不適法なものとして却下することはできない。
2 認定事実
提出された証拠及び請求人の主張によると、次の各事実が認められる。
(1)茶道の一流派である織部流について
ア 井口海仙ほか編「日本の茶家」株式会社河原書店(昭和58年12月15日発行。甲1)には、浅野牧仙の著による「織部流」という項目が設けられており、同項目には、次の旨の記載がある。
(ア)流祖古田織部は、美濃の国の武士で、織田信長、豊臣秀吉に仕え、太閤秀吉の茶の湯指南や徳川将軍家の茶道師範を務めたが、大坂夏の陣のときに切腹を命じられ、一家断絶となった。織部流の作法は、義弟である古田平次重続が相伝して代々古田家の秘伝とされた。その後、古田家14代(織部流14世)古田重名宗関(以下「14世古田宗関」ということがある。)が織部流茶道の復興に努め、明治31年に茶道温知会を起こして、流祖正伝の茶道を多くの弟子に教授した。
(イ)織部流に伝わる茶道には、侘茶法と式正茶法の両伝があるが、その作法を14世宗関から伝授され奥儀を許されたのは、実子古田咲子、岡崎淵冲及び原宗改であったところ、14世宗関は古田咲子を織部流15世緑竹庵素春とした。岡崎淵冲は、14世宗関から両伝を受け、「点茶活法」を刊行し、弟子の佐藤淵静は岡崎淵冲から侘茶法のみを受け、後に中田淵邦、田中宗雲及び興聖寺に伝わった。原宗改は、14世宗関から式正茶法を受け、その弟子の秋元は、15世緑竹庵素春から、織部流16世秋元竹宝庵瑞阿弥(以下「16世瑞阿弥」ということがある。)とされた。16世瑞阿弥は、興聖寺の住職である浅野牧仙に茶法を伝授して、織部流17世王雲斎牧仙とした。興聖寺の織部流家元では、16世瑞阿弥の式正茶法と岡崎淵冲から伝わる侘茶法の両伝がある。
(ウ)織部流茶道の侘茶法「草庵の茶」は、古田織部が千利休から学び受けたもので、古田織部の茶書である「織部百ケ条」の内容は、利休百ケ条とほとんど同じであり、そのことに関する記述が弟子の小堀遠州の茶書等にもみられる。他方、式正茶法「書院および広間の茶」は、古田織部が新しく創案したものであり、古田織部の茶書である「古織喫茶録」には、式正茶法に草庵の茶の精神をもって織部流茶道の真意とする旨等が記載されている。なお、古田織部の作意については、当時の茶書「宗湛日記」などにも記載がみられる。
(エ)興聖寺は、古田織部が慶長8年に天海僧正の高足虚応円耳和尚を開山として創立させたもので、元禄14年に臨済宗に転じて薫龍派の本山興聖禅寺として数十か寺の末寺を有するに至った。昭和初期に、先の住職である日種譲山老師、薮内家元の努力により、古田織部の祥月命日である6月11日に献茶が行われ、現在なお引き継がれている。なお、古田織部とその妻や男子らは、興聖寺に葬られている。
イ 廣田吉崇著「お点前の研究 茶の湯44流派の比較と分析」大隅書店(平成27年3月30日発行。甲2)の「第1章 調査対象流派および点前の分析方法」においては、千家系、有楽系、南坊系などと並び、「Eグループ・その他」(同じ系統に属する流派のうち三つに満たない流派しか調査することができなかった場合で、より上位の系統にグループに位置づけられない場合に分類されるグループ)の一つに、「織部流(EO)」が分類された上で、織部流について、次の旨の記載がある。
(ア)織部流は、千利休の弟子古田織部を流祖とする流派であり、14代は古田重名(宗関)、15代は古田素春、16代は秋元瑞阿弥、17代は浅野牧仙、18代は長門玄晃である。
(イ)浅野牧仙の「織部流」(前記ア)の内容は、一般に理解されている古田織部及び織部流のイメージとはやや異なる面がある。
飯室宗仙の「織部流點茶法茶道テキスト歴史編」などにより、織部流自身の考え方を補足説明する。織部流には、草庵茶法(千利休から学んだ侘茶法)、古法式正(しきしょう)茶法(古田織部が徳川秀忠の茶の湯師範となる際に大野道可から学んだ室町時代の古儀式茶法)及び式正(しきせい)茶法(式正茶式法)(近代に原宗改が古法式正茶法を改良したもの)がある。11代古田広計は、古田家に伝わる教えと、筑前福岡藩に古田代助を送り伝授を受けさせた古織伝茶技法や、長門萩藩及び阿波徳島藩に伝わる古田織部の教えとを併せて整理し、草庵茶法及び古法式正茶法から成る「古織流」を成立させた。その後、14代古田重名(宗関)は、明治31年に茶道温古会を設立し、古織流を織部流と改称して一般に教授した。同人とその門下である岡崎淵冲は、草庵茶法及び古法式正茶法を整理改良し、それが現在の織部流の教えとなっている。原宗改は、古法式正茶法から式正茶法を考案し、秋元瑞阿弥はこの教えを更に改良して式正織部流と称した。現在の織部流に式正茶法が備わるのは、式正織部流から導入したためである。秋元瑞阿弥が始めた式正織部流は、竹宝庵を称する秋元家を家元として受け継がれている。
本書は、他流派との関係から草庵茶法を調査対象とした。ただし、織部流という場合、茶碗台を用いる式正茶法が一般に知られているので、その成立過程を含めて説明した。
なお、以上は織部流が説くところであり、秋元瑞阿弥がその著書である「流祖古田織部正と其茶道」に記す内容とはやや異なる。また、これらの他にも織部流家元があると聞く。
ウ 啓草社発行の「茶湯手帳」の昭和60年版(甲3の1)及び平成18年版(甲3の2)には、「織部流」と題して、興聖寺の所在地が記載された上で、初代(古田織部重勝)からの系譜が記載され、17代は「牧僊 王雲斎」、18代は「槐安」であるとの記載がある。
エ 株式会社宮帯出版社を発行所とする「茶湯手帳」(発行者は被請求人代表者宮下である。)では、平成20年版(初版。甲3の3)においては、興聖寺を所在地とし、17代を浅野牧仙、18代を「長門槐安 玄晃」とする流派が「織部流」とは別の「織部流(古織会)」として記載されていたが、その平成30年版(甲3の4)においては、興聖寺を所在地とする織部流は記載されなくなっている(甲31)。
(2)茶道の一流派である織部流の活動について
ア 京都茶道団体懇話会に関する活動
(ア)昭和46年に創立された京都茶道団体懇話会は、三千家を始めとする茶道の各流派から構成される団体であるところ、織部流の師範である田中宗雲がその創立時から織部流として、理事役員を務めていたほか、昭和50年以降、同じく織部流の師範である飯室宗仙が織部流として、理事、理事長及び会長を歴任している(甲12の1)。
(イ)京都茶道団体懇話会事務局発行の「茶会記録」(平成28年11月頃発行。平成30年12月1日再発行。甲12の1)には、飯室宗仙や同じく織部流の師範である熊谷宗和が織部流として席主を務めた茶会や興聖寺で行われた茶会の記載として、第50回(平成8年4月29日。飯室宗仙が席主)、第53回(平成9年11月3日。興聖寺。飯室宗仙が濃茶席主)、第63回(平成14年11月3日。熊谷宗和が薄茶席主)、第67回(平成16年11月7日。興聖寺。飯室宗仙と熊谷宗和が濃茶席主)、第69回(平成17年11月6日。興聖寺)、第75回(平成20年11月3日。興聖寺。飯室宗仙が席主)、第78回(平成22年5月9日。飯室淵伴(宗仙)が席主)、第80回(平成23年4月29日。興聖寺)、第87回(平成26年11月3日。興聖寺。古田織部の400回忌追法要 供茶式。飯室宗仙が薄茶席主)の各茶会の記載がある。
(ウ)上記の茶会についての「会記」(第53回は甲12の2、第63回は甲12の3、第67回は甲12の4、第75回は甲12の5、第78回は甲12の6、第87回は甲12の7)には、掛物、花器、香合、茶碗その他茶道具について、その製作者や様式等の特徴が記載されている。その他、第53回の「会記」(甲12の2)には、茶礼席の説明や、「十一月と織部の道具」と題した11月と緑色を連想させる織部の道具との関連についての記述があるほか、第87回の「会記」(甲12の7)には、織部流の点前を説明する簡易な記述がある。
イ 茶道文化会に関する活動
(ア)昭和22年に創立された茶道文化会は、三千家を始めとする茶道の各流派の宗匠が茶会等を行う組織であるところ、昭和50年以降、飯室宗仙が織部流として理事及び理事長を歴任している(甲13)。
(イ)茶道文化会事務局発行の「創立70周年記念 平成29年度 茶道文化会茶会記録」(思い出の茶会記録。平成29年3月1日発行。発行者は岸宗樵、校訂者は飯室宗仙。甲13)には、田中宗雲及び飯室宗仙が織部流として席主を務めた茶会や興聖寺で行われた茶会の記載として、第28回(昭和24年6月11日。興聖寺)、第52回(昭和26年5月13日。興聖寺)、第125回(昭和32年6月9日。興聖寺)、第242回(昭和42年5月14日。興聖寺)、第304回(昭和47年11月15日。興聖寺)、第320回(昭和49年5月12日。興聖寺)、第325回(同年10月13日。興聖寺)、第329回(昭和50年3月9日。田中宗雲が席主)、第334回(同年8月17日。田中宗雲が席主)、第336回(同年10月12日。興聖寺)、第343回(昭和51年6月13日。興聖寺)、第354回(昭和52年6月12日。興聖寺。田中宗雲が濃茶席主)、第370回(昭和53年11月12日。興聖寺)、第379回(昭和54年9月9日。興聖寺。田中宗雲が席主)、第403回(昭和56年11月15日。興聖寺)、第414回(昭和57年11月14日。興聖寺)、第416回(昭和58年2月13日。興聖寺)、第425回(同年11月13日。興聖寺)、第441回(昭和60年6月16日。興聖寺)、第468回(昭和63年6月12日。興聖寺。飯室宗仙が席主)、第489回(平成2年12月9日。興聖寺。飯室宗仙が席主)、第522回(平成6年9月18日。飯室宗仙が席主)、第538回(平成8年4月21日。興聖寺。飯室宗仙が席主)、第545回(平成9年3月9日。飯室宗仙が薄茶席主)、第556回(平成10年6月14日。飯室宗仙が濃茶席主)、第652回(平成24年3月25日。興聖寺。飯室宗仙が抹茶席主)の茶会の記載がある。
ウ 興聖寺における年中行事
興聖寺においては、平成25年から平成31年までの間、織部流古織会が関わる年中行事として、初釜・新年会、開山忌、織部忌(ただし、平成28年、平成29年を除く。)、達磨忌などが行われ、供茶、法要、茶会等のほか、織部流の免状や看板の授与式が行われていた(甲22の1~7、甲27、甲31)。
エ 織部流の師範による茶会等の活動
(ア)飯室宗仙は、NHKの放送番組「歴史秘話ヒストリア」の「“ひょうきん”に命がけ ~戦国武将・古田織部 美の革命~」と題する回(アナログ放送)で茶道監修を務めたほか、同じくNHKの放送番組「堂々日本史」の「戦国の世を茶の湯で生き抜け ~武将・古田織部~」と題する回(アナログ放送)で資料提供をし、織部流に属する資料提供者として紹介された(甲14、甲15)。
(イ)熊谷宗和は、いずれも京王百貨店新宿店において、藤谷芳哉作及び中島黙仙作の各作品を取り扱った茶陶展で、平成30年3月17日に、月形明比古作の作品を取り扱った茶陶展で、同年7月14日に、瀧口喜兵爾作の作品を取り扱った茶陶展で、同年10月12日に、それぞれ添釜を行った(甲10、甲16の1・2)ほか、同年11月18日、仙台市で開催された「武家の茶の湯を楽しむ会」主催の「第2回 仙台藩の武家茶道 -織部流・小堀遠州流・石州清水流-」と題するイベントの参加流派の一つとして、薄茶席を提供した(甲16の3)。
(ウ)織部流の師範である飯田千榮子は、平成9年当時、神奈川県秦野市(以下、単に「秦野市」という。)にある秦野茶道協会の会員であり、同人が同協会の織部流に属する会員であることが、秦野市文化団体協議会により同年10月31日に発行された「文化はだの」に掲載されている(甲17の1)。
織部流の師範である飯田宗栄は、昭和50年10月から平成10年10月までの間に、神奈川県内において、12回にわたり、茶会を開催した(甲17の2~13)。織部流の師範である飯田宗節は、平成18年3月から平成30年10月までの間に、秦野市において、3回にわたり、茶会を開催した(甲17の14~16)。
(エ)織部流の師範である筑間宗翠は、古田織部の出生地であるとされている岐阜県本巣市(以下、単に「本巣市」という。)において、平成11年5月に「織部流みどりの会」を創設し、以後、同市内を中心とする岐阜県内や周辺の県内で、織部流として茶会を開催したり茶道の教室を開くなどしており、開催された茶会の「会記」等には、掛物、香合、花器、茶碗その他茶道具について、その製作者や様式等の特徴が記載されている(甲19の2・5・6・8)。また、筑間宗翠は、平成17年4月22日に岐阜県内で開催された財団法人セラミックパーク美濃主催の「織部大茶会」で席主を務めた。同茶会の「会記」には、掛物、香合、花器、茶碗その他茶道具について、その製作者や様式等の特徴が記載されており、また、同茶会の案内資料には、末尾に飯室宗仙の記名のある「織部茶道四百年の概略」と題する織部流の歴史を簡略に記載した資料が含まれている(甲19の4)。筑間宗翠の活動は、平成22年11月20日、「中日岐阜ホームニュース ほたる通信」(甲19の2)で紹介されたところ、同記事においては、「古田織部ゆかりの地で活動 茶道織部流を伝える 織部流みどりの会」、「古田織部正重然を始祖とする茶道織部流の魅力とは?」、「本巣市ゆかりの戦国武将で、茶人でもあった古田織部を始祖とする茶道織部流。」などと記載されている。
本巣市の観光協会が平成29年5月6日に「道の駅 織部の里もとす」で開催した古田織部の功績をしのぶ第6回目の「顕彰茶会」において、織部流の関係者が点前を披露し、それが、同年6月、「広報もとす」で紹介された(甲19の3)。
なお、本巣市の「道の駅織部の里もとす」には「織部展示館」があり、古田織部や織部焼や茶道に関連する資料、織部流茶道の伝書などが展示されている(甲19の2・3)。
(オ)織部流の師範である土屋和馬は、平成25年10月5日、岐阜県大垣市において、織部流として茶会を行った(甲19の7)。
(カ)岐阜県は、平成15年10月20日から、アメリカのニューヨークで「オリベ2003inNY」を開催したところ、その一環として国連本部近くのジャパンソサエティで開催された「オリベ自由茶会」において、笠間宗翠を含む織部流の関係者は、同月22日には、織部流として、茶会を開催した(甲20の1~3)。また、岐阜新聞では、平成26年に、岐阜県本巣市と福井県越前市の友好都市提携20周年を記念して行われた観桜会で、織部流岐阜支部(笠間宗翠代表)が茶会を開催したことが報道された(甲19の1)。
オ 織部流の師範等による点前等に関する著作
(ア)岡崎淵冲は、織部流の系譜や点前等を記載した「各傳比較 點茶活法」を著述し、明治35年に発行された(甲24、甲25)。
(イ)飯室宗仙(淵伴)は、織部流の茶道に関する「茶道テキスト壱」を著述し、それに続く二冊目のテキストとして「織部流點茶法・弐」を著述した(甲35)。後者は、上記(ア)の「各傳比較 點茶活法」その他、古田織部を祖とする茶道の内容が記載された書物の内容を踏まえたもので、平成20年11月11日に織部流古織会により発行された(甲35)。
その後、飯室宗仙は、織部流の五冊目のテキストとして「織部流點茶法」(甲36はその抜粋)を著述し、その初版が私家版として平成27年7月11日に織部流古織会により発行された(甲36)。
また、飯室宗仙は、織部流のテキストの歴史編として「武将古田織部正 織部流の歴史」を著述し、これが私家版として平成27年6月11日に発行された(甲37)。
(3)請求人及び被請求人について
ア(ア)請求人は、昭和57年5月19日以降、法人興聖寺派の代表役員を務めている(甲23)。
(イ)請求人は、遅くとも平成14年1月以降、古織会の会則(甲4)を踏まえ、織部流18代の「槐安」の名義で、複数の者に対し、師範の免状や「織部流 茶道教授」である旨の木製の看板(甲5の1~3、甲6の1~5)を授けてきた。なお、請求人は、織部流の活動に関しては、「槐安」や「玄晃」の名を用いることがある。
イ 被請求人は、「茶の湯文化の振興かつ発展及び武人茶人・古田織部の顕彰に関する事業を行い、不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与することを目的とするとともに、その目的に資するため」、次の事業を含む事業を行うものとして、平成29年7月7日に設立された一般財団法人である(甲32)。
(ア)美術品・茶道具・その他文化財の、<1>展示及び活用、<2>収集、保管及び修復並びに<3>調査及び研究
(イ)茶の湯文化の発展かつ振興のため、<1>呈茶、茶会・茶事、茶道教室の開催及び茶室の貸出、<2>茶室の研究・調査・建設・移設・修復、<3>山荘及び庭園の活用並びに<4>出張茶会・茶事の開催
3 商標法第4条第1項第10号該当性について
(1)引用商標の周知性について
前記2の各認定事実(特に前記2(1)ア~ウ、(2)ア、イ、エ)によると、引用商標である「織部流」は、「古田織部を祖とする茶道の流派」を示すものであって、第17代を浅野牧仙(牧僊)とするものとして、遅くとも昭和60年頃までには、需要者である茶道の愛好者等の間で広く認識されていたものと認められる。
そして、前記2の各認定事実(特に前記2(1)イ~エ、(2)ア~エ、(3)ア)によると、引用商標は、本件商標の登録出願時及び登録査定時には、少なくとも「茶道の教授,茶会の企画・運営又は開催」についての請求人の業務に係る役務を表示するものとして、茶道愛好者等の需要者の間で広く認識されていたものと認められる。
(2)本件商標と引用商標との類否について
本件商標と引用商標は、いずれも「織部流」の文字から成るもので、両者の称呼は同一であって、外観は同一又は類似のものである。そして、観念については、本件商標も引用商標と同じく、「古田織部を祖とする茶道の流派」の観念を生ずるものと解される。したがって、本件商標と引用商標とは、同一又は類似するものである。
(3)「茶道の教授,美術品の展示,茶会の企画・運営又は開催」以外の本件商標の指定役務について
ア 「セミナーの企画・運営又は開催」について
(ア)「セミナー」は、「ゼミナール」と同義で、「大学の教育方法の一つ」のほか「一般に、講習会」を意味する語であり(「広辞苑 第六版」株式会社岩波書店)、「講習」は、「学芸・技芸などを研究し練習すること。また、その指導をすること。」を意味する語である(同前)。
(イ)前記(1)のとおり、引用商標は、請求人の業務に係る「茶道の教授」の役務を表示するものとして周知であったところ、「茶道の教授」は、上記(ア)の「講習会」の形式で行われることも十分に考えられるから、「セミナーの企画・運営又は開催」は、「茶道の教授」と類似の役務であると認められる。この点、規模等は不明であるが、筑間宗翠が織部流の茶道教室を開いていた事実が認められる(前記2(2)エ(エ))ところであり、また、一般に、茶道の教授のために数多くの茶道教室が運営等されていることは、公知の事実である。
これに対し、「茶会の企画・運営又は開催」については、茶会の主たる目的は、一般に、茶自体のほか、茶会という場やそこに顕された世界観や文化を楽しむことにあると解され、そのような茶会が上記(ア)の「講習会」に当たるとはいえないから、「セミナーの企画・運営又は開催」が「茶会の企画・運営又は開催」と同一又は類似の役務であるということはできない。
イ 「興行の企画・運営又は開催(映画・演芸・演劇・音楽の演奏の興行及びスポーツ・競馬・競輪・競艇・小型自動車競走の興行に関するものを除く。)」について
(ア)「興行」は、「催すこと」、「おこしたてること。創建」、「客を集め、入場料をとって演劇・音曲・相撲・映画・見世物などを催すこと」を意味する語である(前記「広辞苑 第六版」)。
(イ)上記ア(イ)で指摘した点を踏まえても、「興行の企画・運営又は開催(映画・演芸・演劇・音楽の演奏の興行及びスポーツ・競馬・競輪・競艇・小型自動車競走の興行に関するものを除く。)」が直ちに「茶道の教授」と同一又は類似の役務であるとは認められない。
これに対し、「茶会の企画・運営又は開催」については、「茶会」は「興行」の一種とみられるところである。そして、本件指定役務のうち「興行の企画・運営又は開催(映画・演芸・演劇・音楽の演奏の興行及びスポーツ・競馬・競輪・競艇・小型自動車競走の興行に関するものを除く。)」は、括弧書きで明記された興行に関するものを除く「興行」を幅広く含むものであり、そこには、茶会のみならず、茶道に関する他の態様の「興行」も含まれるといえる。そうすると、「興行の企画・運営又は開催(映画・演芸・演劇・音楽の演奏の興行及びスポーツ・競馬・競輪・競艇・小型自動車競走の興行に関するものを除く。)」は、「茶会の企画・運営又は開催」と同一又は類似の役務であると認められる。
ウ 「図書及び記録の供覧,図書の貸与,書籍の制作」について
(ア)「供覧」は、「観覧に供すること。多くの人が見られるようにすること」を意味する語であり(前記「広辞苑 第六版」)、「観覧」は、「絵や芝居や風景などを見物し、あるいは眺めること」を意味する語である(同前)。
(イ)前記2(特に前記2(1)ア(イ)、イ(イ)、(2)オ)の各認定事実からすると、織部流の家元や師範が書籍や記録その他の著作物を制作したことが認められるとともに、必要に応じて、そのような著作物は、貸与されたり、上記(ア)の「供覧」をされることによって第三者に提供されたことが推認される。
したがって、本件商標の登録出願時及び登録査定時において、引用商標は、「図書及び記録の供覧」、「図書の貸与」及び「書籍の制作」の役務について使用されていたというべきであり、それらについての請求人の業務に係る役務を表示するものとして、周知であったものと認められる。
エ 電子出版物の提供について
本件商標の登録出願時及び登録査定時において、引用商標が「図書及び記録の供覧」、「図書の貸与」及び「書籍の制作」についての請求人の業務に係る役務を表示するものとして周知であったというべきことは、前記ウで認定判断したとおりであるところ、「電子出版物の提供」は「図書及び記録の供覧」や「図書の貸与」と類似の役務であるというべきである。
(4)まとめ
以上によると、本件商標の登録出願時及び登録査定時において、引用商標は、本件商標の指定役務のうち「図書及び記録の供覧,図書の貸与,書籍の制作」について、請求人の業務に係る役務を表示するものとして周知であり、また、「セミナーの企画・運営又は開催」は、引用商標に係る請求人の「茶道の教授」の役務と類似の役務、「興行の企画・運営又は開催(映画・演芸・演劇・音楽の演奏の興行及びスポーツ・競馬・競輪・競艇・小型自動車競走の興行に関するものを除く。)」は、引用商標に係る請求人の「茶会の企画・運営又は開催」の役務と同一又は類似の役務、「電子出版物の提供」は、引用商標に係る請求人の「図書及び記録の供覧」及び「図書の貸与」の役務と類似の役務であると認められるから、本件商標の指定役務のうち上記役務について、商標法第4条第1項第10号に該当するものとして、登録を無効とすべきである。
4 むすび
以上のとおり、本件商標の登録は、本件審判の請求に係る指定役務中、第41類「セミナーの企画・運営又は開催,電子出版物の提供,図書及び記録の供覧,図書の貸与,書籍の制作,興行の企画・運営又は開催(映画・演芸・演劇・音楽の演奏の興行及びスポーツ・競馬・競輪・競艇・小型自動車競走の興行に関するものを除く。)」については、商標法第4条第1項第10号に該当するものであるから、同法第46条第1項の規定により、無効とすべきである。
よって、結論のとおり審決する。
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2019-890032